2021.10.20

シチズン とは|ブランド誕生の歴史 日本の時計が世界に愛される理由とは

サムネ_シチズン歴史

※この記事はウォッチ買取応援団としてYoutubeにアップした動画、「シチズンの歴史|世界の”市民”に愛されるニッポンのハイテク時計」の書き起こしです。

本日は、シチズンの歴史について、お送りして参ります。

ブランドの誕生は1918年大正7年の東京市。当時輸入中心だった時計というものを、日本でも作ろうじゃないかという決意のもと誕生した時計メーカーです。

シチズンが作る時計の魅力は、なんといっても高い実用性を持っているということ。わずかな光源で発電し、動き続ける光発電や、複数タイムゾーンに対応した電波ウォッチなど、便利な機能を多数搭載しています。

また生産能力も非常に高く、1980年代は生産量世界ナンバー1。世界シェアのなんと3割以上を持っていたという、モンスター級のブランドなんですよね。

では、シチズンというブランド、いかにしてこの域にたどり着くことができたのか。100年を超えるブランドの歴史から、その魅力を紐解いていこうと思います。

目次

シチズンの現行ラインナップ

さて、まずは現在のシチズンについて。今現在展開されているラインナップから見ていきましょう。

現在のコレクション、全部で11シリーズ。

ザシチズン

https://citizen.jp/

正確で見やすく、腕時計の本質を追求。時計組み立てマイスターと呼ばれる専門技師のみ作ることが許される最高級モデル ザ シチズン。

エコドライブワン

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2016年のバーゼルワールドで発表された新世代のソーラークォーツ。わずかな光源で発電し駆動するエコドライブワン。

アテッサ

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GPS衛星電波受信、ワールドタイム表示など、多数の機能を備えた究極の実用時計アテッサ。

プロマスター

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高い防水性能と頑丈さ。冒険者のための時計プロマスター。

などなど、主に使用シーンや機能で区切られています。各コレクション、複数本のバリエーションが存在し、価格帯も様々。

非常に幅広いユーザー層に愛されているブランドであることがお分かりいただけるかと思います。

ブランドの創業

さて、ではこれらのコレクション、どんな時代背景において、どんな技術を用いて誕生していったのか。まずは、ブランドの誕生背景から見ていきたいと思います。

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シチズンの創業は、1918年の東京市。銀座で貴金属商を営んでいた山崎亀吉によって創業されました。山崎氏はアメリカ視察の際、懐中時計が大量生産されている状況を目の当たりに。

アメリカの時計産業は、1800年代中盤から世界に先駆けて大量生産に成功しており、山崎氏がアメリカを訪れた時代というのは、本場スイスからも多くの視察者が訪れていた時代だったんですよね。

アメリカ式の作り方をスイスに持ち込んだ人物、有名どころではIWCの創業者フロレンタイン=アリオスト・ジョーンズや、ティソの共同創立者シャルル=エミール・ティソなどがいます。で、これを日本でもやりたい!と。強い思いから創業されたのがシチズンの前身、尚工舎時計研究所でした。

1918年の創業当時、日本には既にセイコーというブランドが国産の時計作りを始めていたものの、まだまだ試行錯誤の段階。大量生産と呼べるものではなく、故に価格も一般市民が買えるものではなかった。山崎氏はこれを変えたかったんですね。一般労働者にこそ、時計は必要なものなんだと。

こうした背景から誕生した尚工舎時計研究所。良い時計を作るには、まずは技術者を育てるところからということで、1921年には時計学校を開校。

そして関東大震災の被害を受けながらも、1924年第一作目となる懐中時計その名もシチズンを見事完成させるに至ります。

その後、1930年には淀橋に新工場を構え、会社名をシチズン時計株式会社に変更。本格的に大量生産のへの道を歩み始めます。

ブランド名の由来

ちなみにシチズンの由来は、市民を意味する英単語citizen。当時の東京市長であった後藤新平伯爵によって、「永く広く市民に愛されるように」という願いから名付けられたそうです。

完全に余談ですが、イギリスのチューダーというブランド、皆さんご存知かと思います。あのブランド名も、皆に愛されるようにという思いから名付けられてます。

が、面白いのは文化の違い。チューダーはイギリス王家の名称なんですよね。皆に愛されるという思いは一緒でも、市民と名付ける国と、王家の名前を付ける国。文化の違い、改めて感じてしまいました。

腕時計の製造をスタート

さて、話を戻しましてシチズン、1930年以降は、腕時計の製造にも着手。

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初めの頃は懐中時計と同じ機構を使用した6時位置スモールセコンドの腕時計を製造し、1936年からは東南アジアへの輸出もスタート。1945には長野に工場を作るなど、順調に事業を拡大していきました。

その後、1948年には現在の腕時計のスタンダードであるセンター3針のモデルを。そして1952年にはポインターデイト表示のトリプルカレンダー搭載モデルも発売しています。

元々時計工ではなく宝石商だったことや、第二次世界大戦での足止めがあったことを考えると、腕時計を作り始めて約20年で複雑機構を完成させてしまったというのは、驚異的なスピード感だったのではないでしょうか。

と、シチズンのスピード感はここに留まらず。

パラショック

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1956年にはパラショックと呼ばれる独自の耐衝撃機構を開発し、腕時計に搭載。30m上空のヘリコプターから地面に落としても壊れないことを証明しています。スイス製の冒険ウォッチに引けを取らない、なかなかファンキーなテストですね。笑

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さらに1958年には国産初のアラームウォッチシチズンアラームを発売。翌1959年には国産時計として初の防水時計パラウォーターを発売。

1960年には、ロボット製造(といっても当時はロボットという言葉が無かった)を取り入れた最初のモデル ホーマーを発売。

1961年には、本格的な自動巻きムーブメントを搭載したモデル ジェットを発売。当時、国内では最薄の自動巻きウォッチでした。

1962年には、当時世界最薄となる機械式ムーブメントcal.0700と搭載した3針ウォッチダイヤモンドフレークを発売。

などなど、手巻き自動巻き問わず、毎年立て続けに新作をリリースしていきました。

アメリカの技術電子時計を日本でも

さらにこれだけでは満足せず。機械式時計で求められる精度に限界を感じていたシチズン。アメリカで先行されていたある技術を、日本の時計業界にも持ち込みます。そう、電子時計ですね。

https://www.hamiltonwatch.com/ja-jp/

機械式時計の動力はゼンマイです。これを電池に変えたのが、1957年アメリカのブランド・ハミルトンによって作られたベンチュラという時計でした。ベンチュラは、電池の電力をモーターに伝え、時間を刻むという当時全く新しい構造。しかし、機械式に使われる調速機を用いていたため、精度の部分は機械式同様だった。

https://bulova.jp/

それを改良したのが、同じくアメリカのブランドブローバが1959年に作った音叉時計です。これは電池を動力として、音叉に振動を発生させ、その振動を一定のサイクルで拾うというもの。

時計の精度は、振動数に依存するため、単純にその数が多い方が精度の高い時計が作れるということになります。機械式の振動数は、どんなに多くても毎秒10程。これ以上を求めると、壊れやすくなるというリスクがあります。音叉時計はこれを毎秒360まで引き上げ、機械式よりも高い精度を実現したというわけです。

当時シチズンは、この音叉時計を作ったブローバと輸出入の契約を交わしていた。この縁からか、電子時計に参入したタイミングも早かったんですよね。

エックスエイト

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1966年には国産初の電子時計エックスエイトを発売。セイコーがクォーツウォッチを作る3年前、既に電子化の波を作っていたという事実。素直に驚きました。

ちなみに、エックスエイトは1970年に新作が追加。その際、世界で初めてチタンケースが使われたという実績も持っています。

ここまで、世界初やら国産初やら、とにかく初となるものが多い。シチズンさん、本当に凄いブランドなんですね。

光発電を腕時計に

だいぶ慌ただしいんですが、シチズンの進化、まだまだ止まることを知らず。

1970年代に入ると、クォーツウォッチが世界の時計業界を席巻。加えて第一次オイルショック。スイス初め、世界中の時計産業がピンチを迎えることとなります。早くから電子時計を作っていたシチズンも、セイコーの量産型クォーツウォッチには遅れを取ってしまいます。

ただこの時代、シチズンが上手かったのは、時計以外のモノづくりも積極的に行っていたこと。時計作りで培った技術を応用し、工作機械や事務機器、計算機などの製造も行い、海外へと輸出していたんです。

こうした新事業へのフレキシブルな姿勢も、シチズンが有能な技術者を獲得し、100年以上の歴史を紡いできた所以なのではないでしょうか。

また、シチズンの上手さはもう一つ。クォーツウォッチ、自分たちも作り出したものの、普通にはやらなかった。

今度は一体何をしたのか。

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なんと、光発電を時計に持ち込んだのです。

光発電の歴史は古く、1839年には基本理論が。1884年には最初の発電実験に成功しています。ただし、本格的に実用化されたのは遅く、オイルショックによって、人々にエコの概念が定着してから。その時代がまさにクォーツショックとも重なっていたんですよね。

シチズンはこれに着目し、環境に配慮した製品をということで、クォーツウォッチに光発電を搭載。1974年のテスト機を経て、1976年に世界初の光発電式アナログウォッチクリストロンソーラーセルというモデルを発売するにいたります。

定期的に電池交換を要する通常のクォーツウォッチとは異なり、太陽光に当てることで充電できてしまうという。これまた新しい技術ということで、世界中から注目を集めるモデルに。

これこそが、現代のエコドライブに繋がる原点となるモデルです。

更なる多角化と電波ウォッチ

そしてこの後の時代、1980年代~1990年代は、多くの時計ブランドが機械式時計の復活を試みていた時代です。

皆さんご存知のゼニス・エルプリメロや、タグホイヤーのモナコとカレラ、ブライトリング・クロノマットなど。歴史上の名作たちが蘇り、再び機械式時計への需要が過熱してきた時代。

シチズンはというと、なんと携帯電話用のLEDの量産に成功。NC自動旋盤機を発売。自動車部品の生産を開始。と、腕時計以外の事業を拡大しつつ、次なる新しい技術にチャレンジ。

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1993年世界初の多極電波ウォッチ。

日本、ドイツ、イギリスの標準時を受信し、時計の時刻を合わせるという技術。電波時計は1970年にセイコーが大阪万博でお披露目したのが世界初となります。それを腕時計サイズで、しかも多極受信という形で製品化してしまったんです。

言わずもがな、先ほどの光発電と合わせ、これが後のソーラー電波ウォッチへと繋がっていくわけですね。

時計から始まった技術集団

と、シチズンはこの後の時代も多角化を続けながら、時計作りも続けているという状態です。現在、シチズンの売上のうち、時計が占める割合は51%となっています。

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しかし、どんなに多角化が進もうとも、その軸はやはり時計作りにある。公式サイトにはこのように書かれています。

“ 1918年「尚工舎時計研究所」創業から100年。時計事業で培ってきた「小型化」、「精密加工」、「低消費電力」技術をベースに当社は、工作機械事業、デバイス事業、電子機器事業等を展開しております。部品から完成時計まで自社一貫製造するマニュファクチュールの当社のDNAが様々な事業に息づいています。 “

全ての事業は、時計作りから発展したものである。はっきりとそう読み取れるのではないでしょうか。

まとめ

といったところで、本日は、シチズンの歴史と魅力について、見てきました。現在は時計作りにおいても、多種多様なニーズに応えるべく、多角化がなされています。高級機械式時計、クォーツ式、電波ソーラーと、様々な時計を作っています。

また、近年は単に正確に時間を刻むということだけではなく、それを芸術の域にまで押し上げることにもチャレンジ。

2019年に数量限定で発売された、ザ シチズン エコ・ドライブ キャリバー0100というモデル、記憶に新しいかと思います。あれこそまさに100年の技術の集大成という感じでしたね。

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世界最高精度の年差プラマイ1秒を実現しただけでなく、秒針移動時に生じる針ブレすらも抑えての登場。正確に、そして美しく1秒を刻む時計として、世界中の時計人たちを唸らせました。

また近年は、アメリカの時計ブランド ブローバ、スイスのムーブメントメーカー ラ・ジュー・ペレ、同じくスイスのブランド フレデリック・コンスタント、イギリスの時計ブランド アーノルド&サンを傘下に収め、一大コングロマリットへと進化しています。多様なコレクションはこの協力体制があって成り立っているものなんですね。

そして、シチズンという名前。やはり市民で正解だったのではなかろうか。もしどこかの国特有の名前を付けていたとしたら、ここまで多国籍なチームにはならなかったかも。世界的なヒットは、なかったかもしれません。