2019.08.20

オーデマピゲ AUDEMARS PIGUETとは|ブランド誕生の歴史

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時計ブランド、有名モデルの歴史や誕生背景を探っていくと、新たな魅力を発見することが出来ます。今回ピックアップしたのは、オーデマピゲ。世界3大時計ブランドの一角であり、ラグジュアリースポーツウォッチの傑作・ロイヤルオークを生み出した高級時計ブランドです。

目次

オーデマピゲとは?

オーデマピゲは、140年以上の長い歴史を持ち、なおかつ創業以来ずっと途切れることなく、一族の手によって経営が続けられている、珍しいブランドです。

現在も創業時と同じ、スイス・ジュウ渓谷のル・ブラッシュに本社を構え、複雑機構を備えた数々の名作モデルを世に送り出しています。

オーデマピゲが如何ほどの技術を持っているか。それは、現在発売されているモデルに搭載される機構を見れば、良くお分かりいただけるかと思います。

例えば、パーペチュアルカレンダー。48か月を1つの周期として記憶させた機械は、閏年がある年の日付まで判断します。そのため、100年に一度だけ日付を調整すれば良いという、超複雑機構です。

そして、ムーンフェイズ。人工衛星がとらえた月の満ち欠けを表示する機能。こちらは122年と108日間、調整が不要です。地球の自転公転、地球上の緯度経度まで考慮した複雑機構で、地球が天体であり、時計のルーツが天文学であることをあらためて認識させてくれる技術です。

さらにさらに、テンプ回りを自転させることで、重力による精度への影響を抑えたトゥールビヨンや、音によって時間を知らせるリピーターウォッチまで、超複雑機構と呼ばれるものは、大抵網羅されています。

これらの技術が生みだされたのが、オーデマピゲが本拠地を置く、ジュウ渓谷という場所。スイス・ジュネーブから北に約60km離れた山脈地帯にあります。

自然豊かな土地であり、水や鉱石などの天然資源も豊富です。夜には空一杯に星が広がることから、時計というツールを使って、天文学を表現するのにふさわしい場所とも言われ、別名ウォッチ・バレーとも呼ばれる、超複雑時計の聖地です。

このエリアは、冬になると降雪で完全に孤立してしまうことから、農家の冬の内職として、金属加工の技術が発達。それが後に時計作りに姿を変え、18世紀頃より時計師を専業とする家が生まれ始めた、という歴史背景があります。

オーデマピゲも、そのような家系で生まれた2人の時計師によって設立されました。スイスの山奥で作られたブランドが、世界3大時計という名声を得ていくまでのストーリー、見ていきたいと思います。

オーデマピゲの誕生は1875年 スイス ル・ブラッシュ

では、まずはブランドの創業から見ていきたいと思います。オーデマピゲが創業されたのは1875年。冒頭も触れた通り、スイス・ジュウ渓谷のル・ブラッシュで創業されました。

創業者はジュール=ルイ・オーデマとエドワール=オーギュスト・ピゲの二人。どちらもジュウ渓谷の時計師一家に生まれ、若い時からその才覚を発揮。特にジュールの方は、修行中でありながらも、すでに時計界では名前が知れるほどの天才でした。

そのため、ジュールが独立して時計メーカーの下請け工房を構えると、待ってましたと言わんばかりに、こなしきれないほどの仕事が舞い込んだそうです。そこでジュールは、幼馴染だったエドワールに声をかけ、二人態勢での事業がスタートしました。

創業当時は、多くの時計メーカーからの下請け業務をこなす日々でしたが、元々複雑機構を得意としていた二人は、自分たちのブランドを立ち上げることを決意。1882年より、正式にオーデマピゲとしての活動がスタートすることとなります。

2人の天才が立ち上げたブランドとしてのオーデマピゲ

ブランド立ち上げにあたり、二人に立ちはだかった壁は2つ。一つは、当時28歳だったジュールが、金欠により資本金が出せなかったこと。これは、自作の時計18本を出資金の代わりにしたことで解決したので、よしとして。

もう一つは、アメリカ式・効率重視の生産システムのスイス上陸です。

1875年は、IWCの創業者フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが、スイスのクラフツマンシップと、アメリカのエンジニアリングの融合を図るべく、主にアメリカ市場向けにスイスでの時計作りを本格化した年でもあります。

時代背景として、生産効率を重視した時計作りが注目されていた時代。そのタイミングに、手作りにこだわった時計作りの継続を決めることは、相当な勇気と自信があってのことだったのではないでしょうか。

しかしながら、二人はこの壁もしっかりと超えていきます。

ブランド立ち上げ後、エドワールは営業に専念。製作のジュールと、営業のエドワールという体制をとったことが功を奏し、1888年には、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ベルリン、ブエノスアイレスに、代理店を設置することに成功しています。

この時期、1882年~1892年までの間、オーデマピゲは、1,500本の時計を作ったと言われており、そのうち8割は複雑機構だったそうです。

特に得意としていたのは、チャイミング(音が鳴る時計・リピーターともいう)、クロノグラフ(ストップウォッチ)、アストロノミカル(ムーンフェイズなどの天文学要素が強い時計)。

チャイミングの技術は、1783年にブレゲが小型化に成功していますが、オーデマピゲはそれをさらに腕時計サイズへと小型化することに成功。1892年に発明されたミニッツリピーターウォッチは、世界初の技術となり、ルイ・ブラン社(現在のオメガ)へと売却されました。

オーデマピゲは、複雑機構に強いだけでなく、小型化・薄型化にも強かったのですね。

超複雑機構ユニヴェルセル

1899年には、ルクルトの時計師ルイ=エリゼ・ピゲと組み、スプリットセコンドクロノグラフ、ジャンピングセコンド、デッドビートセコンド、グランドストライク、ミニッツリピーター、アラーム、パーペチュアルカレンダーと、当時実現可能だった超複雑機構をすべて盛り込んだモンスターウォッチ・ユニヴェルセルを発表。

初代オーデマピゲが手掛けた時計でもっとも有名なこの作品は、2013年に8か月を費やした修復・復元作業が行われ、現在オーデマピゲミュージアムの目玉として、展示が行われています。

ちなみにルクルトとの関係は、ジャガールクルトとしてリシュモン傘下に入った現在も続いており、ロイヤルオーク・エクストラシンに搭載されているムーブメントcal.2121のベースには、ジャガールクルトのcal.920が使われています。

オーデマピゲの複雑機構、そして小型化の技術は、20世紀に入り息子たち、孫たちの代にバトンタッチされてからも、しっかりと引き継がれていきます。

1921年に開発されたリピータームーブメントは、なんと厚さ1.33mm。21.1mmサイズのプラチナケースに収められ、世界最小リピーターとなりました。さらに1938年には、手巻きの腕時計用ムーブメントが、1.64mmという驚異的な薄さで発表されています。

1892年までに製造された時計もそうですが、この後1950年までに製造されるオーデマピゲの時計はすべて、モデルという概念がなく、一点もののユニークピースでした。

1951年 モデル名という概念が登場|パーペチュアルカレンダー

モデル名が使われるようになっていったのは、1951年以降から。

1955年に登場した腕時計・モデル5516は、パーペチュアルカレンダーとムーンフェイズを搭載し、併せて世界初となる閏年の表記も搭載されました。この5516に使われたムーブメントcal.13VZSSQPは、バルジュー製の半製品をベースに、複雑機構を追加する形で作られました。

ジャガー・ルクルトとの関係もそうですが、オーデマピゲは半製品をベースに完成品に仕上げるという共同作業を好んでおり、その根本にあるのは、昔ながらのスイスでの時計作り。ブランドという枠を超え、複雑に絡み合うことで、良い時計を生み出していくという姿勢にあります。

このことについて、元クリスティーズ時計部門ディレクターであり、現オーデマピゲ歴史研究家であるマイケル・L・フリードマンは、

『オーデマピゲの責任感には、本当の意味がしっかりあります。時計作りでも、マネージメントでも、オーデマピゲにはジュウ渓谷における時計作りを、どう維持していくのかに責任を感じているブランドです。』

と語っています。

さらに磨きがかかった複雑機構小型化の技術

1967年には、薄さ世界一の自動巻き機構ムーブメントの開発に成功。やはりベースムーブメントを設計したのは、ジャガー・ルクルトで、その薄さはなんと2.45mmという驚異的な数字でした。

さらに凄いのは、このcal.2120、後付けでカレンダーやそれ以上の複雑機構が追加できるという点。この設計により、1978年には、パーペチュアルカレンダー搭載の腕時計を、ケース厚7.8mmで作り上げることに成功しています。

複雑機構と薄型化。極めるとここまで発展していくんですね。オーデマピゲの時計の美しさは、ムーブメント開発の力があってこそなんだなと。あらためて感動しております。

1969年にはセイコーがクォーツの腕時計化、量産化に成功し、クォーツショックと呼ばれる革命が起こるわけですが、創業時にそうしたように、オーデマピゲはまた同じ決断をします。その時のことを、現副会長オリヴィエ・オーデマ氏はこう語っています。

『1875年にオーデマ ピゲが創業した頃、アメリカ式の効率を重視する生産システムの波がスイスにも上陸します。しかし二人の創業者はそれに迎合せず、手作りにこだわった時計を継続したいという意思を持っていました。1960年代末には、日本からクォーツウォッチがやってきます。正確さという機能では、クォーツの方が優っていましたから、我々の会社は、より複雑で、より審美性の高い時計を作る方向へと舵を切っていったのです。』

ラグスポのパイオニア・ロイヤルオークの登場

かくして、得意とする複雑機構の時計作りを続けていくことを決めたオーデマピゲ。クォーツブームの波に揉まれたことをきっかけに、新たなチャレンジを行っていきます。それが耐久性へのチャレンジです。

当時、まだ複雑時計はデリケート過ぎるくらいデリケートなもので、どこへでも着けていけるというものではありませんでした。クォーツウォッチの普及によって、腕時計というものが高級なものから一般消費的なものへと普及していった時代。腕時計の進化という観点から、高級ブランドの時計であっても、日常的に着けられる耐久性が求められました。

そこで、登場したのが皆さんお待ちかねのロイヤルオークです。

ロイヤルオークは1972年に発表。日常的に使用できるよう、高級時計としては異例となるステンレススチールという素材を使用し、堅牢性やデザイン性という要素を強く意識して生み出されました。

ご存知の方も多いかと思いますが、デザインを手がけたのは、鬼才と呼ばれるデザイナー、ジェラルド・ジェンタ氏。言わずもがな、後にパテックフィリップのノーチラスや、ブルガリのオクトを手掛けることとなる人物です。

クォーツショックを乗り越えた ジェンタデザインの気鋭ウォッチ

ジェンタ氏は、スイス・ジュウ渓谷の職人たちが、鉄鉱石の塊から、美しいムーブメントを生み出し、価値を高めるのと同様に、決して高級な素材ではないスチール製のケースに、デザインという要素を加えることで、価値の高いものへと変化させました。

ロイヤルオークという名称は、デザインのモチーフになった八角形の舷窓を持つ、イギリス軍の装甲艦HMSロイヤルオークから名付けられています。ロイヤルオークのもう一つの特徴でもある、文字盤の彫り模様。タペストリーと呼ばれる模様も、ジェンタ氏のデザインによるものです。

ロイヤルオークが伝説的な名作として語り継がれる理由は、クォーツショック直後という時期に登場し、大きな決断を下したブランドに追い風を呼び込んだということがあります。その時代、異例となるステンレススチール素材の採用は、オーデマピゲにとっても大きなチャレンジであり、高級時計業界においても、世界初となる試みでした。

そのチャレンジは見事に成功。1950年代に50名以下だった社員数が、1970年代には100名以上になったという結果からも、その功績がお分かりいただけるかと思います。クォーツショック、なんのそのですね。

1976年にパテックフィリップがノーチラスを発表したことで、ロイヤルオークとともにラグジュアリースポーツという新しいカテゴリーを時計界に作り上げたことも、大きな功績なのではないでしょうか。

繊細なデザインの裏には確固たる時計作りの技術

そこからの躍進は、皆さんご存知の通りです。ロイヤルオークと言えば、今やだれもが憧れる腕時計のひとつに。この辺りだけ掻い摘んでしまうと、デザインで成功したブランドに見えてしまいますが、その背景には複雑機構と薄型化の確固たる技術があったというわけですね。

現行モデルのロイヤルオーク見ていただくと、その一面、覗くことができます。ケースサイズが異なるバリエーションでも、中身の機械は変えず、ケースサイズだけを変えています。

ムーブメントのサイズに合わせてケースサイズが決まってしまう多くの高級時計ブランドと、雲上と呼ばれる世界3大ブランドの大きな違いは、ここに見ることが出来るのです。

まとめ

というわけで、オーデマピゲの歴史、見てきました。やはり凄いブランドですね。現在も創業時と変わらず、複雑機構の開発は続けられており、世界初のラップタイマー・クロノグラフなど、コンセプトモデルを複数発表し続けています。

また、スイス式の時計作りも大切にしており、現在はリシャールミルへの技術提供も行っているのだとか。リシャールミルは、極限まで軽量化を突き詰めていますから、オーデマピゲの薄型化の技術が活きるのでしょうね。

現代における複雑機構はすべて実現し、スイスの優れた技術者との繋がりを持ち、小型化・薄型化の技術に加え、デザインという武器まで持っているオーデマピゲ。ここから一体どんな進化を遂げるのか。とても楽しみですね。