2020.07.23

ブランパン BLANCPAIN とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

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ブランパン_歴史

※この記事はウォッチ買取応援団としてYoutubeにアップした動画、「世界最古!ブランパンの歴史はスイス時計の歴史そのものだった!」の書き起こしです。

今回は、ブランパンの歴史について、お送りして参ります。オメガやブレゲなどと共に、スウォッチグループ傘下に属する高級時計ブランド。1735年創業と、現存するものでは最古、非常に長い歴史を持つブランドです。

一般的な知名度はさほど高くないものの、約300年もの間、機械式時計だけを作り続けている。その姿勢から、時計好きにとっては、絶対に外すことが出来ない存在です。

ブランパンは、どのようにして長い歴史を積み上げてきたのでしょうか。今回の記事では、ブランパンの長い歴史を辿りつつ、その魅力を紐解いていこうと思います。

目次

↓動画でもご覧いただけます。

創業期 ジャン=ジャック時代

さて、では創業期からですね。

創業は1735年のスイス ジュラ山脈 ヴィルレ村。創業者ジャン=ジャック・プランパンが、時計師として村の名簿に名を連ねたところから、その歴史がスタートします。

ジュラ地方は、元々農家が多い地域で、冬の間の内職として、精密部品を作っていた家庭が多くありました。

後にその技術が発展して、時計師を専業とする者が現れ始めます。そして、これがスイスのジュラ地方の伝統的な時計師のスタイルになっていくわけです。

創業期 ジャン=ジャック時代

引用元:https://www.blancpain.com/

ジュラ地方の時計師

有名どころでいうと、1800年代創業のオーデマ・ピゲやオメガ、ゼニスなどが、このスタイルから誕生したブランドですね。

ジャン=ジャック・ブランパンは、時代に先駆けて、部品工から時計師になった人物。

ジュラ地方の時計師たちが次々と活躍していく後の時代。そこへの流れを作った、先駆者だったというわけですね。

3代目フレデリック=ルイ時代

そして、次の時代。3代目フレデリック=ルイ・ブランパンが継いだ時代に入っていきます。

3代目フレデリック=ルイ時代

引用元:https://www.blancpain.com/

フレデリックが継いだのが1815年。

この時代のブランパンは、量産にチャレンジし、見事成功させています。

量産への挑戦

当時の時計作りと言えば、時計師がイチから手作業で作るため、同じものを複数個作るということは、非常に難易度が高いものでした。

特に複雑な形状の部品は作るのが難しく、量産化の妨げになっていました。

と、その中で、フレデリックが目を付けたのは、『脱進機』というパーツ。ゼンマイからの動力を制御し、正確に時を刻むためのパーツ群です。

量産の妨げになったシリンダー脱進機

当時使われていたのは、シリンダー型脱進機と言われるもの。

1695年にイギリスの時計師トーマス・トンピオンによって発明され、1727年に同じくイギリスの時計師ジョージ・グラハムによって小型化が成され、懐中時計に実用化されたものです。

小型ながらも精度が高い時計が作れるため、非常に優れたものではありましたが、加工が難しいことや、摩耗が激しいことなど、課題も多くあり。デリケート過ぎる故、量産も困難でした。

そこでフレデリックが目を向けたのが、アンクル型と呼ばれるものでした。

アンクル脱進機

アンクル脱進機は、シリンダー脱進機よりも古いシステムです。その起源は1671年のイギリスで、振り子時計に使われていたものでした。

その後、1754年には、イギリスの時計師トーマス・マッジが小型化に成功させています。

ブランパンは、この技術を取り入れたことで、それまで困難とされた量産体制を作ることに成功。水力発電を使った工房建設の計画も進められ、地域最大のマニュファクチュールへと、成長していきました。

アンクル脱進機

引用元:https://www.blancpain.com/

イギリスの技術を取り入れたブランパン

ちなみに、先ほどからイギリスの時計師の名前が多く登場していますが、19世紀中盤まで時計業界をリードしていたのは、イギリスとフランスなんですよね。

時計産業の中心がスイスに移るのは、その後の時代になります。

なので、この時ブランパンが積極的にイギリスの技術を取り入れていたというのは、なんだか感慨深い。

時流を変えるキッカケになっているような、そしてイギリスの優れた技術を継承する役割も担ったのではないか。そんな気がします。

実際、スイス時計産業の発展には、分業やマニュファクチュールによる量産体制が大きく影響していることは間違いなく。

逆に衰退したイギリスとフランスは、天才時計師が複数人いたものの、技術継承の体制が上手く図れずに、途絶えてしまったんですよね。

マニュファクチュールとしての発展

さて、話を戻しまして、マニュファクチュール(自社一貫生産)として、量産体制での時計作り開始したブランパン。

1926年には、同じスイスの時計ブランド・フォルティスが、イギリスの時計師ジョン・ハーウッドとともに開発した、世界初の自動巻き機構ムーブメントの製造を担当。

1930年には、フランスの時計師レオン・アトが創り上げた、縦型自動巻きという、非常に特殊な機構のムーブメント・ロールスの製造も担当しています。

イギリスとフランスが誇る世界初の機構。製造者としてそれらに関わり、量産をも可能にしたことで、業界内で広く知られる存在になっていきます。

家系は途絶えるもブランドは存続

1930年代、ブランパンの家系は途絶えてしまいますが、アシスタントであったベティ・フィスターが引き継ぎ。1950年代には、年間10万本を作るほどにまで、順調に成長していきました。

今もブランパンを代表する名作の一つ、フィフティファゾムスが生まれたのは、この時代。フランス海軍からの依頼で製作されました。

そして、1961年には、同じスイスの時計ブランドであるオメガやティソなどと合流し、SSIHグループへ参加。更なる販路拡大を図っていきます。

家系は途絶えるもブランドは存続

引用元:https://www.blancpain.com/

クォーツショックにより休眠

が、ここでクォーツショックの到来です。

クォーツショックについては、セイコーの歴史で詳しく触れておりますので、ぜひそちらをご覧いただければと思います。

ここでは簡単に端折って説明しますが、クォーツウォッチの登場によって、高価な機械式時計の需要は、急激に落ち込んでしまいました。

多くのスイスウォッチブランドが危機に陥り、、、消滅してしまったブランドも多数。ブランパンも生産停止、休業状態となってしまいます。

ブランパン再生へ

ブランパンが再び目を覚ますキッカケは、1983年2人の男による買収でした。

ブランパン復活に動いた2人の男、ジャン=クロード・ビバーとジャック・ピゲ。

ジャン=クロード・ビバーは、オメガで007ボンドウォッチを大ヒットさせた人物。後にウブロ・ビッグバンを生み出す男です。

そして、ジャック・ピゲは、ムーブメントメーカー フレデリック・ピゲ創業者の息子。

ということで、時計業界で既に名の知れた2人の手によって、ブランパンは再生への道を進むことになります。

プランパン再生へ

引用元:https://www.blancpain.com/

ブランド復活への思い

ところで、既に時計業界で成功していた2人は、なぜ休眠状態のブランパンを買ってまで再生しようとしたのでしょうか。

ジャン=クロード・ビバーのインタビューをまとめた書籍『間違える勇気。』には、このように書かれていました。

「ブランパンは、最初であり、唯一の存在。~中略~ 本物の機械式時計に再び命を吹き込みたい。」

ビバー氏が感じた使命

ここから感じ取れるビバー氏の思い。

スイス時計業界の礎を築いた偉大なブランドを休眠させたままでたまるか!ブランパンの復活は、スイスの復活を意味するものなんだ!

きっとこんな感じだったのではないかと。

ブランド復活への思い

ブランパンを復活させた男 ジャン=クロード・ビバー 引用:https://ja.wikipedia.org/

ビバー氏が復活させたかったのは、スイス時計界そのものの伝統だったのではないでしょうか。

復活のテーマが『古典回帰』とされたことからも、伝統を守ろうとした気持ち、そして使命感を感じることが出来るかと思います。

マスターピース発表

かくして、1984年のバーゼルワールドを皮切りに、復活の道を進み始めたブランパン。

1991年には、ウルトラスリム(薄型ウォッチ)、ミニッツリピーター、トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンドクロノグラフ、そしてムーンフェイズと、6つのマスターピースを発表。復活の狼煙を上げます。

通常マスターピースとは、歴史上の傑作であったり、普遍的なデザインで継承され続けている名作に用いられる言葉です。

が、ブランパンは、それを敢えて新作で発表。

ここからも、スイスウォッチ復活に繋がる狙いを感じることができます。

機械式時計の再興

マスターピースというと、○○と言えばブランパン!後にそう言われるようになるのが正解です。

しかし、ブランパンが求めた正解はそこではなく。○○と言えば機械式時計!これだったんですね。

スイスウォッチという、忘れられかけた存在、これを再び時計産業の中心に。工房で職人がイチから作り出す機械式時計。そこでしか表現できない魅力があるんだと。

ブランパンは、自らの復活を通じて、スイス製機械式時計の魅力を再び世界に伝えたんですね。

機械式時計の再興

引用元:https://www.blancpain.com/

スウォッチグループへ

こうして復活を遂げたブランパン。1992年には、ビバー氏とピゲ氏の手から、スウォッチグループへと引き継がれていきます。

当時スウォッチグループは、オメガを筆頭に、実用ブランドやカジュアルブランドがメイン。グループの創始者ニコラス・G・ハイエックは、オメガ以上のブランドを加え、グループ強化を図りたいという思いがありました。

また、ブランパン側にとっても、高い製造技術を持ち、安定して時計作りに臨める環境として、スウォッチグループは良い場所でした。

ブランパンをスウォッチに渡したことについて、ビバー氏はこのように語っています。

「スウォッチグループは、非常に高度な製造技術を持っている。そしてハイエック氏は、誰よりも業界を理解し、マーケティングや貿易、財政にも強い。なにより、常に3歩先を行く先見の明がある。」

こうして、世界最古のブランドは、世界最大のスイスウォッチメイキンググループに加わることとなりました。

近年のブランパン

以降、ブランパンは年に数本というマスターピースの製作を続けていきます。

2008年には、カルーセルという超複雑機構の製作も成功させています。

加えて、フィフティファゾムスシリーズや、ヴィルレシリーズ、レマンシリーズなど、レギュラーラインナップも拡充。

人気モデルを多数生み出しています。

まとめ

といったところで、ブランパンの歴史について、見てきました。

ブランドの歴史が、スイス機械式時計の歴史そのもの。という感じでしたね!300年の歴史は、やはり壮大なものでした。

今後も世界最古のブランドであることは不動。スイスの機械式時計を未来に残していくという、大きな使命を背負い、魅力的な時計作りを続けていくことでしょう。