型番号(Ref.)は半角で検索して下さい

ロレックス買取査定バナー90


お祝い金バナー90


高価買取のコツバナー90


バイヤー厳選|ロレックス今週の3本バナー90

2019.11.25

セイコー SEIKO とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

更新

国産ウォッチのパイオニアであり、いまや世界の一流ブランドにも名を連ねるSEIKO。偉大な功績と特徴的なモデルは数あれど、セイコーの歴史において、そして腕時計史上においても、最もインパクトがあったのは、1969年のクォーツウォッチ発表です。

後に『クォーツショック』と呼ばれるようになるこの出来事は、当時スイスの機械式時計業界を、ほぼ壊滅状態に追いやったと言われるほどの大革命でした。

セイコーはどのようにして、世界のセイコーになり、そしてクォーツウォッチという最大最強の武器を手に入れることが出来たのか。見ていきたいと思います。

目次

本文中の画像は、シャネル公式サイトより引用:

セイコー SEIKO とは

さて、セイコーとはどんなブランドなのか。グランドセイコー、クレドール、アストロン、プロスペックス、プレサージュなどなど。ブランド内に様々なラインが存在していることから、一言では捉えにくいブランドのように思えますが、実はそのアイデンティティは一貫したものです。

それは、『常に時代の一歩先を行く』 という精神。

創業者 服部金太郎氏 は、「すべて商人は、世間より一歩先に進む必要がある。」とし、20世紀前半の日本の時計業界をリードしてきました。

その精神は、彼亡き後も引き継がれ、時計の精度、そして美しさへの飽くなき探求心から、数々の『日本初』そして『世界初』を作り出しています。

セイコーの前身 服部時計店

セイコーの創業は、1881年。和暦でいうと、明治14年ですね。服部時計店として、東京京橋で創業。時計商として、海外から輸入される時計の販売および修繕事業からのスタートでした。

仲間内での仕入れ・販売が主流だった時代に、いち早く海外の商品を輸入しての販売。国内では見ることが出来ない珍しい時計が並ぶ服部時計店は、それを求める人々で賑わう繁盛店となっていきました。

1892年には、時計メーカー『精工舎』を立ち上げ、国内企業として一歩早く、掛け時計の製造をスタート。その後、懐中時計の製造もスタートし、1901年には国内最大の時計事業者にまで成長しました。

東洋の時計王 服部金太郎

この頃、創業者 服部氏は、さらなる時計の普及図るべく、海外の時計工場視察に多くの時間を割いていました。工場での量産体制を作りたかったのですね。

そこで得た知識を活かし、自動旋盤装置を開発。量産体制を整えたセイコーの工場は、1913年国産初の腕時計『ローレル』を発売します。ちなみに腕時計の歴史を振り返ると、もともとは貴族と軍でのみ使われていたものであり、一般市民が使えるものではありませんでした。

一般向けに市販された最初の腕時計は、1911年に発売されたカルティエのサントスです。セイコー・ローレルの発売は、そこから遅れること、わずか2年という快挙でした。その功績から、創業者 服部金太郎 は『東洋の時計王』と呼ばれる存在になります。

しかし、ここまで順調に成長を重ねていた時代は一変。激動の時期を迎えることとなります。

関東大震災と第二次世界大戦

1923年9月。関東大震災。東京、神奈川を中心に、広い範囲で甚大な被害をもたらした地震災害です。

この震災で、販売店および工場は全焼。製造ラインが復旧され、再び時計の出荷が開始されたのは、翌年1924年3月のことでした。しかし、復興からわずか10数年。次なる悲劇、第二次世界大戦が勃発。

戦後、混沌状態から復活を遂げたのは、1956年のことでした。

新作腕時計『マーベル』を発売

1956年、セイコーは、新作腕時計『マーベル』を発売。


さらに1960年には、新ブランド、グランドセイコーを立ち上げ、当時のスイスウォッチに匹敵する精度を有した腕時計の製造に成功します。グランドセイコーの歴史については、別の動画でまとめておりますので、ぜひそちらをご覧いただければと思います。

オリンピック公式タイマーへのチャレンジ

そして1964年。セイコーが世界のSEIKOになるキッカケとなったイベントが行われます。東京オリンピックの開催です。

NHK大河ドラマいだてんの舞台になっている時代なので、観ている方はよくご存じかと思います。日本人初のオリンピック挑戦から、東京オリンピック開催に至るまでのストーリーを描いたドラマですね。

1964年の東京オリンピックは、戦後見事に復興を遂げた日本という国を世界に認知させ、日本企業が世界に躍進するための大きなキッカケにもなりました。

この大舞台において、セイコーは日本企業で初めての公式タイマーにチャレンジしました。

オリンピックの公式タイマーというと、世界一のスポーツ選手のパフォーマンスを計るという大仕事。それを任されるわけです。当然、生半可な性能の時計では、認定されることはありません。

1920年~1928年まで、その大役を担ったのは、まだタグホイヤーになる前のホイヤー。そして、1932年のロサンゼルス大会から、1960年のローマ大会までは、オメガとロンジンの独占状態でした。

つまり、それまでオリンピックの公式タイマーに選ばれたのは、スイスウォッチのみ。ここに新たに手を挙げるというのは、相当なハードルがあったことと思います。

日本企業として、そして日本人としての挑戦

オリンピック公式タイマーへのチャレンジは、東京オリンピックの前、ローマオリンピック開催後からスタートします。その時代、まだ国内にはスポーツタイム計測の知識がある人がおらず、スポーツ用クロノグラフの存在すらもありませんでした。

この状態からのチャレンジ。無謀すぎますよね。

しかし、セイコーには、セイコーとしてのチャレンジ以上に、日本企業として、そして日本人としてチャレンジする理由がありました。というのも、戦後の日本は長く貧困時代が続き、人々は日常生活に使う品以外のものを買う余裕がなく、腕時計も贅沢品のひとつでした。

当時の日本人にとって、セイコーの腕時計を持つということは、それ自体が誇れるもの。そのセイコーが、世界の舞台で活躍することは、日本人皆が誇れるものとなり、勇気になるだろうと。

かくしてセイコーは、3つのチームに課題を分担し、競技用ストップウォッチの開発に着手。1962年に完成したストップウォッチは、国際陸上連盟をはじめ、各スポーツ団体によって試用され、絶賛を持って受け入れられることに。

1963年、見事に東京オリンピック公式タイマーの座を獲得しました。しかし、これで終わらないのがセイコー魂。創業者 服部金太郎が掲げた『時代の一歩先へ』という精神のもと、世界初となるプロジェクトにチャレンジします。

世界初!オリンピック公式ウォッチのオールデジタル化です。

もうひとつの大きなチャレンジ『オールデジタル化』の成功

デジタル化というのは、機械式の時計ではなく、電源を必要とする駆動方式、いわゆるクォーツ式を用いるということですね。これは、公式タイマーになる以上に大きなチャレンジとなりました。

それまで、大きな競技場では大型のクォーツ式タイマーの設置が可能でしたが、競技場以外で行う種目や、小さな会場ではそれが難しく、装置の小型化が必要でした。

さらに、必要なのは時計のみではなく、それぞれの競技に合わせたスイッチ類であったり、電子掲示板であったり、電源であったり。セイコーは、クォーツ式タイマーの小型化を進めるとともに、競技ごとに必要な機器を見極め、その開発も行いました。

結果、東京オリンピック当日に使われた時計は、大型のものから、持ち運び可能なものまで、全部で36種類!すべてデジタル!関連機器まで含めると、その数は実に1,278個!

もちろんその中には、世界初となるものが数多くありました。この数の計測機器を、セイコーはたった4年で作り上げ、技術力の高さを世界にアピールすることに成功しました。

そして、このオールデジタル化の成功。その後どこに繋がったかというと、、、1969年のアレですね!

世界初 クォーツ式腕時計 アストロン誕生!

東京オリンピックでの公式タイマーを成功させた後、セイコーはその技術を家庭用壁掛け時計に応用。1968年、世界初の家庭用デジタルウォッチを発売します。

そして1969年。その技術は、腕時計の領域にまで到達。世界初の電池式量産ウォッチ、アストロンを発表します。表示こそデジタルではありませんでしたが、電池を電源とするクォーツ式という構造を、腕時計のサイズにまで小型化したことで実現しました。

アストロンは、職人の技を要する機械式時計と異なり、工場での量産が容易に。高い精度だけでなく、低いコストで大量に作れるという強みを持ち合わせていました。

アストロンの登場で、それまで高級品だった腕時計は、一気に一般化され、広く普及。クォーツ式ウォッチは、瞬く間に腕時計市場を席巻し、クォーツショックと呼ばれる大革命となりました

1970年 大阪万博 で披露した世界初の電波時計

1970年の大阪万博も、この革命への追い風になったことでしょう。セイコーは、ここでも『世界初』となる電波時計を披露し、SEIKOの名を世界に広めました。

インターネットがなかった時代。世界中の人が注目するオリンピック、そして博覧会は、世界にブランドの知名度を広めるための2大イベントだったのかも知れませんね。

タグホイヤーもセイコー同様にオリンピックで知名度を上げています。もっと時代を遡ると、パテックフィリップなどの超有名ブランドも、博覧会を世界展開へのキッカケにしてきました。

関東大震災と第二次世界大戦。セイコーは、2つの大きな窮地を経験しながらも、オリンピックでチャンスを掴み、そして博覧会でさらにチャンスを広げたわけですね。

高級腕時計ライン『クレドール』の発表とグランドセイコーの復活

以降、セイコーはブランドのラインナップを拡大。1974年には、高級ライン・クレドールを発表。1980年代後半には、一時的にクォーツ式の製造に専念していたグランドセイコーの機械式復活に着手します。

さらに1999年には、クォーツ式に続く第3の機構スプリングドライブを。2012年には、世界初のGPSソーラーウォッチを発表。どちらも世界初の技術となり、世界中の時計師を驚かせました。

そして2019年。どこにいても、SEIKOという文字を目にしない日はないのではなかろうかと思うほど、セイコーの時計は私たちの生活の一部になっています。

まとめ

といったところで、本日はセイコーの歴史について、お送りいたしました。

安価なモデルが多いため、普段何気なく身に付けている方も多いセイコーのクォーツウォッチ。その誕生背景には、『時代の一歩先を行く』という創業者の精神のもと、度重なる悲運をもチャンスに変え、果敢に挑んできたブランドストーリーがあったんですね。

セイコーの時計を眺めるときは、敬意をもって望みたいと思います。