2019.07.12

ブレゲ BREGUET とは|天才時計師による時計はどう生まれたのか – ブランド誕生の歴史

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ブレゲ歴史

5大ブランドの一角、ブレゲ。時計の歴史を200年早めたと言われる天才アブラアム=ルイ・ブレゲによって、フランス・パリで創設された名門メゾンです。

ブレゲの歴史上の顧客リストには、ヴィクトリア王女、ナポリ王妃、マリー・アントワネット、ロッシーニ、ナポレオン・ボナパルトなど、ヨーロッパの王族・貴族たちの名前が並ぶことから、大衆時計ではなく、上流階級の時計として確固たる地位を築き上げてきたことがわかります。

ブレゲはなぜ王族や貴族に愛される時計となったのか。その歴史を数々の偉大な発明とともに、見ていきたいと思います。

目次

ブレゲとは?

では、まずはブレゲというブランドについて、現在の動向とその特徴を見ていきましょう。

ブレゲの創業は1775年。ブランド誕生から実に240年以上が経過した名門中の名門です。

多くの王族や貴族に愛されたことから、今現在もその時のブランドイメージがしっかり残っており、誰もが知っている人気ブランドではなく、時計にステータス性を求めるハイエンド層からの支持が厚いブランドになっています。

『ブレゲの時計にふさわしい人間になる』そんな思いを持った人が、オメガやブライトリングなど、人気ブランドからステップアップする際に選ばれるという特徴があります。

展開しているコレクション数こそ少ないものの、どのコレクションもブレゲの歴史上の偉大な発明を組み込んでおり、創業者ルイ・ブレゲの力を感じることが出来るものになっています。

ブレゲの誕生は1775年|創業者は天才時計師ルイ・ブレゲ

このルイ・ブレゲという人物ですが、『時計の歴史を200年早めた』と言われる天才です。どのくらい天才かというと、その具体的な発明は後ほど紹介するとして、ウィキペディアにそれを感じさせる一文がありました。

『現在もアブラアム=ルイ・ブレゲが手掛けた複雑時計の再現や、シリコン製の部品など新技術開発にも取り組んでいる。』

現在ブレゲはスウォッチグループの傘下に属していますが、スウォッチグループの高い技術を持った現代の技師たちにとっても、ルイ・ブレゲが手掛けた複雑機構の再現には至っていないということを表している一文ですね。

さて、天才ルイ・ブレゲ。育ちはスイス・ヌーシャテルですが、15歳の時にフランスに渡り、ヴェルサイユやパリで時計職人の修行をスタート。28歳になった1775年に、パリのシテ島に自身の時計工房を開店します。これがブレゲの始まりです。

自身の工房を持ったブレゲは、ここから偉大な発明を世に送り出すこととなります。最初の大きな功績となったのは1780年。ペルペチュエル機構の発明です。自動巻き機構ですね。時計に詳しい方はご存知かと思いますが、ロレックスで言うところのパーペチュアル機構です。

ロレックスが世界初の両方向回転式自動巻き機構を腕時計に搭載したのは1931年。それ以前に腕時計に自動巻き機構を搭載していたと言われるフォルティスが1926年です。まだ腕時計というものがなく、懐中時計が使われていた時代。ロレックスよりも150年以上前に、自動巻き機構が作られていたことに驚きます。

王族との繋がりから数々の複雑機構発明がスタート

この発明で名を挙げたブレゲは、ジョセフ・フランソワ・マリー大修道院長の助力のもと、フランス王室との関りを持てることとなり、ヴェルサイユ宮殿のみならず、ヨーロッパ中の貴族にその名を知られることとなります。

王族・貴族との繋がりを持ったブレゲは、ペルペチュエルの発明に胡坐をかくことなく、次の発明に取り組みます。1783年にはリピーターウォッチという音の鳴る時計のゴングを独自の機構に改良。美しい音色を奏でながらも、大幅な小型化を可能にしました。

そして1785年にはかの有名なブレゲ針を製作。時計の中身同様に、外にも合理性を求めるべきという哲学から、視認性高く、軽量な針を作り出しましたブレゲ針は今現在、時計の専門用語として使われる名詞になっており、ブレゲ以外でもこの形状の針のことはブレゲ針と呼ばれるようになりました。

均時差を時計に組み込むという異次元

さらに同年。均時差という途方もない数字を時計に組み込むことにも成功しています。均時差というのは、1年を通し1日を24時間とした『平均太陽時』と、地球の公転が楕円であるため、太陽の南中から次の南中までを1日とするという『真太陽時』との時差のことです。ちょっと難しい話なんですが、私たちが一般的に使う時間という概念は1日が24時間ですよね。これが『平均太陽時』です。

対して『真太陽時』。これは地球の公転1回を1日とするため、厳密には24時間ではなく、24時間マイナス16分~プラス14分の間になるそうです。24時間ぴったりになるのは、1年間でたったの4日しかないのだとか。

『平均太陽時』と『真太陽時』の差が均時差なのですが、これを時計にどう組み込んだかというと、イメージしにくいかと思いますので、現在ラインナップされているモデルで見てみましょう。

ブレゲ公式サイトより https://www.breguet.com/jp

こちらです。これ、分針が2本あって、それぞれ『平均太陽時』と『真太陽時』を指しています。もうなんだか意味不明ですよね。そもそも真太陽時の分針、どうやってうごいてるんだろうか?

フランス革命でも止まらなかった情熱|トゥールビヨンの発明

話を戻して、1789年にはフランス革命が始まります。フランス革命により、フランス撤退を余儀なくされたブレゲは、多くの顧客を失い、失意の底に、、、と言いたいところですが、彼の発明は止まることなく続きました。

1790年にはパラシュート機構という、外的な衝撃から時計の心臓部分を守るための構造を発明。これも後に多くの腕時計へと引き継がれるショックアブソーバーの原型ですね。

ブレゲヒゲゼンマイ

ブレゲ公式サイトより引用 https://www.breguet.com/jp

そして、1795年にはブレゲヒゲゼンマイを発明。これも今に引き継がれる渦巻き状のヒゲゼンマイです。ブレゲ針同様に、専門用語として名詞的な扱いになっています。ブレゲさん、メンタル強すぎます。

この頃、ブレゲの工房は再びフランスに戻ることとなりますが、変わり果てたフランスを見たルイ・ブレゲは、ロシアへと販路を広げる施策に乗り出します。

同時に発明はまだまだ止まることを知らず、1801年には『トゥールビヨン』を発明。時計の最大の敵が重力であること。それを解消すればより精度の高い時計が出来るという信念から生まれたこの技術は、今もなお腕時計3大複雑機構に数えられる偉大な発明です。

時計の心臓部とその周辺を、時計内で自転させることで、重力からの影響を相互に相殺するとともに、注油も均一に馴染み、姿勢差による精度の差が大きく改善されました。

初代ブレゲの終焉|最後の発明はスプリットタイムクロノグラフ

こうして発明を繰り返しながらも、ブレゲはロシアの販路開拓でも無事に成功を収めます。1808年にはサンクトペテルブルクに工房を開店しました。

しかし、その3年後。ナポレオン政策への対抗処置として、ロシアへのフランス製品輸入が禁止に。またも時代に味方されることなく、閉店を余儀なくされました。

この頃、ルイ・ブレゲの年齢は64歳。鋼のメンタルを持つ彼も、さすがに体力的な限界もあったのでしょう。ロシア撤退後の発明はただ一つ。1820年のスプリットタイムクロノグラフのみとなり、その3年後、生涯に幕を閉じることとなります。

それ以降、ブレゲは息子、孫へと引き継がれますが、いずれも時計業界への興味は薄く、1870年には工房長を務めていたエドワード・ブラウンへと経営権が引き継がれます。

そこから100年間、ブラウン家が3代に渡って経営するものの、目立った発明やモデルのリリースはなく、実質ブレゲというブランドは消えかけていました。

ルイ・ブレゲの功績が輝かしかっただけに、この100年は衰退へと向かっていった時代となりました。

ブレゲの復興|名工ダニエル・ロート

ブレゲの本格的な復興が行われたのは1970年から。フランスの宝石細工師ショーメへと経営権が受け継がれ、ダニエル・ロートの指揮のもと進められました。

ダニエル・ロートは、ジャガールクルト、オーデマピゲにて時計師としての実績を積んだ後、ショーメに参加。ルイ・ブレゲが発明したトゥールビヨンを世界で初めて腕時計サイズへと落とし込み、実用化した人物です。

彼の指揮により復興を遂げたブレゲは、投資会社インベストコープの尽力のもと、1999年にスウォッチグループ傘下に。現在はスウォッチグループの豊富な人材と資金力により、ルイ・ブレゲが残した偉大な発明の再現と、更なる新技術の開発を行っています。

まとめ

以上、ブレゲの歴史背景について、見てきましたけれども、ちょっとなんだか凄すぎませんでした?若干気持ち悪くなるくらいの発明の数々。ルイ・ブレゲって本当に人間ですか?笑

ここまで知ってしまうと、時計好きがブレゲを評価する理由、よくわかりますね!ふさわしい人間になるぞ!っていう気持ちになるのもよくわかります。ちなみにスウォッチグループに加わってから、ブランドとしてのブレゲの発明が4つあるのですが、特に印象的なのはこちらでした。

マグネティックピボット1

ブレゲ公式サイトより引用 https://www.breguet.com/jp

マグネティックピボット2

ブレゲ公式サイトより引用 https://www.breguet.com/jp

2010年に開発されたマグネティック・ピボット。テンプの芯を上下から協力な磁石で挟むことで、振動や衝撃を受けても瞬時に中心に戻るという技術。上下から磁石で吊っているので、宙に浮いているようです。

磁石で挟むということ自体は簡単そうではありますが、機械式時計の弱点の一つには磁力があるので、そこを乗り越える技術が融合されているということですよね。耐磁性といって、多くのブランドウォッチが磁力を寄せ付けない構造にしているところ、ブレゲは逆に時計の中に磁石入れちゃっているという破天荒ぶり。

ブレゲの公式サイトにも『今後数年間は評価されない発明』とあるとおり、これが今後どんな技術に昇華されていくのかを見届けるには、まだ少し時間がかかりそうです。

というわけで、本日は5大ブランドの一角、名門ブレゲの歴史についてお送りしました。