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2019.09.30

カルティエ Cartier とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

時計ブランド、有名モデルの歴史や誕生背景を探っていくと、新たな魅力を発見することが出来ます。今回ピックアップしたのは、フランス・パリ発祥のジュエリーブランド・カルティエ。ブルガリやティファニーなどとともに、世界5大ジュエラーに数えられる名門であり、男性用の実用腕時計を作った最初のブランドでもあります。

目次

本文中の画像は、ブルガリ公式サイトより引用:
https://www.bulgari.com

こちらが世界初の実用腕時計となったカルティエ・サントスです。今も不動の人気を誇るモデルですよね。2019年にも新作が発表されています。

このサントスという時計。元々は創業者の孫であるルイ・カルティエが、友人の飛行士アルベルト・サントス・デュモンからオーダーを受けて作ったことが、その起源となります。

この他にも、タンク、パシャ、バロンブルーなど、名だたる名作ウォッチを世に送り出してきたカルティエ。ブランドの誕生から、ジュエラーとしての成功、そして腕時計での成功まで。じっくりと、お伝えしていきたいと思います。

カルティエとは

では、まずはカルティエというブランドについて、ブランドの特徴と、代表的な時計、見ていきましょう。カルティエのブランドアイデンティティ。その答えは、1904年にイギリス王族エドワード7世が残した言葉にあります。

「王の宝石商であり、宝石商の王である。」

この言葉の通り、歴史、品質、ステータス性、デザインなど、あらゆる項目において、世界中で高く評価されているブランドです。

カルティエは、創業当初より社交界の人々に愛用され、ナポレオン3世時代の王妃からも直々にオーダーを受けていたことから、フランス王室御用達のブランドとして知られていました。

では、なぜ王族に愛されるブランドとなったのか。

それは、オーダーに対する回答、即ち作品が、期待を大きく超えるものだったからに他なりません。この辺りの詳細は、この後順を追って紹介していきますね。

カルティエの時計

そして、カルティエが時計を本格的に作り始めたのは、1911年以降です。皆さんよくご存じなのは、サントス、タンクあたりでしょうか。いずれも登場したのは20世紀前半です。

その後、パシャ、ディアボロ、ベニュワールなどが20世紀後半。2000年代に入ってからは、バロンブルー、カリブルなどが登場しています。

一目でカルティエの時計と分かるこの見た目ですが、実はデザインの流行への対抗策として、このような個性的なデザインになっています。

一体どういうことなのかというと、、、ジュエラーとしての歴史から辿って見ていきましょう。

創業者ルイ=フランソワ・カルティエ

創業者であるルイ=フランソワ・カルティエが、宝石細工師として独立したのは28歳になった1847年のこと。師であるアドルフ・ピカールより工房を受け継ぎ、それがカルティエブランドの誕生となりました。

フランソワは、職人であると同時に、デザイン、そしてビジネスのセンスにも恵まれ、創業初期から快進撃を繰り広げていきます。

商機は2度の移転から

フランソワがまず行ったのは、工房の移転でした。引っ越し先は、ヌーブ・デ・プティ・シャン通り5番地。現在のパレ・ロワイヤルに近い場所です。

1853年当時、そのエリアにはフランス国王の弟の家系である、オルレアン公の館があり、社交の場として賑わっていました。

創業者フランソワは、そこを往来する着飾った人々を見て、宝飾品へのニーズがあると予測。その読みは当たり、早々に繁盛店へと成長していきます。

そして、1859年。次なるニーズを読んだフランソワは、2度目の移転を行います。この時、フランスはナポレオン3世が治める第2帝政時代。

パリは大改革が行われ、世界で最も美しい街と呼ばれる場所になっていました。大通りには着飾った人々が多く行き来。その大通りの中心に店を置くことで、更なる躍進を狙いました。

この読みも見事に大当たりとなります。

フランス王室御用達のブランドへと成長

当時のカルティエの作品は、東ローマ帝国やネオ・ルネサンスの建築様式、花や動物などをモチーフに、複数の異なる素材で表現するというものでした。

カルティエ公式サイトでは、「エクレクティシズムを取り入れていた」とありますが、エクレクティシズムとは、異なる思想や体系から、その真理あるいは長所を抽出し、調和させて新しいものを作り出そうとするものです。

こうして作られた優美で華やかなカルティエの作品は、富裕層の間でも話題となり、フランスの王妃、ユゥジェニー妃より、直々にオーダーを受けるほどにまで成長。フランス王室御用達のブランドへと成長していきました。

3代目ルイ・カルティエが開いたプラチナ加工の技術

時は移り1800年代末。カルティエの経営は、創業者フランソワから、その息子アルフレッドへ。そして1898年には、孫のルイ・カルティエへと引き継がれていきますが、このルイ・カルティエこそ、現代のカルティエブランドの骨格を作った人物です。

まず、ルイの世代へ代替わりして大きく変わったのは、プラチナの使用です。それまで宝石の台座には、加工が容易なシルバーを使うのが一般的でした。しかしながら、シルバーは時間と共に変色してしまう。

それを嫌ったルイ・カルティエは、シルバーの代わりにプラチナを使うことに。プラチナは加工が難しいのが難点ですが、経年変色が起こらないというメリットがあります。つまり、加工の技術さえ身に付けてしまえば、これまで以上の作品が作れるというわけです。

非常に勉強熱心な職人であったルイは、プラチナの加工技術を会得。これが後に有名な「ガーランドスタイル」へと繋がっていくこととなります。

カルティエのお家芸【ガーランドスタイル】

ガーランドスタイルというと、今もカルティエの得意とするデザインのひとつ。花や植物のモチーフを繰り返し繋げることで表現されるデザインです。

これが誕生したきっかけは、優れたプラチナ加工技術の他に、当時フランスで流行していたアールヌーヴォー様式から脱却し、独自のスタイルを生み出そうとしたルイ・カルティエの貪欲さがありました。

アールヌーヴォーというのは、19世紀初頭、産業革命後に生まれたデザインの風潮です。直訳すると、「新しい芸術」という意味の言葉ですが、どんな特徴があるかというと、下記の通り。

・花や植物などの有機的なモチーフ
・自由曲線の組み合わせによる装飾
・鉄やガラスといった当時の新素材を利用

大量生産品が多く出回った時代であったため、人々は従来の様式に囚われない、華やかで装飾性の高いデザインを求めたわけですね。アールヌーヴォースタイルは、当時のヨーロッパにおいて、建築や工芸品、ジュエリーの世界でも流行していました。

しかし、ルイ・カルティエはこのタイミングにおいて、18世紀のフランス・ネオクラシック様式を再解釈し、独自のスタイルを生み出したいと考えてました。そして生み出されたのが、ガーランドスタイルです。こちらのティアラ。1910年にベルギーのエリザベート王妃に販売されたものです。

アールヌーヴォーが流行した時代。そして宝石の台座にはシルバーが使われるのが一般的だった時代。プラチナを用いて、左右対称にデザインされたこの作品は、一つひとつのダイヤモンドの輝きが際立つ、まさにレースのようなジュエリーとして、大変喜ばれたそうです。

東洋と西洋の融合を表現した弟ジャック・カルティエ

また時を同じくして、イギリス・ロンドンにおいてもガーランドスタイルのジュエリーは高く評価されます。

カルティエブランドは、フランスのユゥジェニー王妃と、イギリスのヴィクトリア女王が親しい仲だったことから、1902年よりイギリス・ロンドンにも出店。ルイの弟であるジャックがブランドを任せられていました。

ジャック・カルティエは、イギリスと深い関係にあったインドにも度々訪問し、王族が身に付けるインドの伝統的なジュエリーを研究。インドのカラーストーンとガーランドスタイルを融合させた独自のデザインを生み出します。

それはまさしく東洋と西洋のデザインの融合となり、イギリスとインドの関係をより深めるものとして、両国の王族に絶賛されました。

ルイにしても、ジャックにしても、受けたオーダーに対し、より美しく、より期待を超えるものを作り出そうとする気持ちが強かったのですね。これこそが「王の宝石商であり、宝石商の王である。」と言われる所以だったのでしょう。

腕時計コレクション発売へ

ルイ・カルティエの時代。もう一つ大きな出来事となったのは、腕時計コレクションの発表でした。ここまで、ジュエラーとして成功を収めたカルティエですが、ルイは王族のみならず、市民の嗜好にも関心を抱いていたといいます。

時計開発にあたる以前、ルイはこのような言葉を残していたそうです。

「私たちは大衆の気分に応じた商品在庫を積み増すよう、ビジネスを行わなければならない。そのためには実用的な機能を持ち、しかしカルティエスタイルで装飾された製品を作らねばならない」

ルイ・カルティエは、実用的な機能を持つものに対しても、豪華なハイジュエリーと同じように尊ぶ感覚を持っていたのでしょう。やがてルイは、実用的な機能を持つものとして、時計に注目。時計師との繋がりも深めていきました。

アルベルト・サントス・デュモンとの出会い

そしてその情熱が開花することとなったのは、ブラジル人飛行家アルベルト・サントス・デュモンとの出会いからでした。

ライト兄弟が動力飛行を成し遂げる以前から、自作の気球や飛行船でパリ上空をたびたび飛行していたアルベルト・サントス・デュモン。飛行中、コーヒーを飲むために緊急着陸をするほどの伊達男として、社交界でも有名な人物でした。

彼は、飛行中、操縦桿を握っているため、胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認することができない、という悩みを持っており、それを友人であったルイ・カルティエに打ち明けました。

それまで、男性が持ち運べる時計としては懐中時計が一般的。所有しているのも上流階級の人たちであったため、腕に付けて慌ただしく時間を見る、という文化がなかったわけですね。

サントスウォッチの誕生|アールデコへの流れを作る

カルティエにも懐中時計の存在はあったものの、腕時計は女性用のみ。ジュエリーと同じように、カラーストーンで飾られたものなどが、ワンオフで製作されているのみでした。

相談を受けたルイ・カルティエは、1904年。サントスのために腕時計のプロトタイプを制作。ベルトを繋ぐラグ部分を一体化したケースを持つこの時計は、「サントス」と名づけられ、注文主であるサントス本人を大変喜ばせました。

その後、1911年にはサントスウォッチが商品化されることとなり、これがカルティエブランド初の時計コレクションであり、世界初の男性用実用腕時計となりました。

このサントスという時計。ガーランドスタイルのジュエリーと比べると、かなりシンプルなデザインでまとめられていることがわかります。

これこそが、実用的な機能を持つもののデザインとして、ルイ・カルティエが出した答えでした。そしてこれが後に、次なるキーワード「アールデコ」の時代へと繋がるキッカケとなります。

先ほど登場したアールヌーヴォー。そして次なるキーワードはアールデコ。華やかで装飾性の高いデザインを求めたアールヌーヴォーに対し、アールデコの特徴は下記の通り。

・現代都市生活に適した実用性
・単純・直線的な模様
・幾何学的な模様

これは第一次世界大戦後の人々が、芸術性を抑えた機能的でシンプルなデザインを求めたことから生まれたデザイン様式でした。

サントスが登場した時代のジュエリーを見てみると、ルイ・カルティエの新たなデザインへの挑戦を垣間見ることができます。直線的な幾何学模様、そしてブルー、グリーンといった斬新な色彩。

一般的にアールデコへの時代変化は、1920年頃からと言われていますが、カルティエのジュエリーは、1910年前後から既にその流れを掴んでいました。

ちなみに、現代の時計でもよく使われるバケットカットのダイヤモンドも、実はこの時代にカルティエによって生み出されたものです。

バケットというのは、フランス語で棒を意味します。文字通り、立体的な直線である棒を象ったダイヤモンドは、アールデコ時代への変革期に生まれたものなんですね。

タンクウォッチの発売|アールデコ時代の到来

やがて、より明確なラインを好むようになったルイ・カルティエは、1917年。新たな腕時計のデザインに着手。ルノー製の戦車の形からヒントを得たとされるこの時計は、タンクと名付けられ、1919年には商品化が成されました。

時計のデザインにおいても、時代に先駆けて、直線的でシンプルなものにチャレンジ。風防ガラスにも角を残すという斬新なデザインで、ジュエリーとともに、アールデコ時代への流れを本格的に作り出しました。

タンクシリーズは後にブランドのアイコンとなり、アメリカン、フランセーズ、アングレーズなど、多くの派生モデルに受け継がれ、それぞれの時代に新たなスタイルを打ち立てていくこととなります。

この時期、カルティエのジュエリーは、ニューヨークでの展開も軌道に乗っており、世界中で知られる存在へと成長していきます。現在もアイコン的な人気を誇るトリニティブレスは、この時代に発表されたものです。

しかし、1930年代以降は、世界恐慌、第二次世界大戦と続き、カルティエの顧客であった王族には、途絶えてしまったものもありました。1930年代以降、1980年代まで。この期間は、ジュエリーにのみ専念したのか、腕時計のコレクションが追加されることはありませんでした。

長い時を経て、防水ウォッチ『パシャ』が誕生

カルティエが再び、名作と呼ばれる腕時計を発表したのは1985年のパシャ。パシャの原型は、1943年に作られた防水ラウンドウォッチと言われていますが、さらにその原型は1930年代にまで遡ります。

ここでも王族からの依頼ですが、モロッコのエル・ジャヴイ公より受けた「着けたままプールで泳げる時計」を作って欲しいというオーダー。それに対し、その時のカルティエは、防水性能を持つタンクで回答。しかし、数年後にラウンドウォッチにて更なる回答をしたという流れです。

そしてそこからまた時を経て、40年越しの答えとして発表したのがこの時計というわけです。腕時計においても、最善を尽くした回答、すなわち商品作りを徹底していたことがわかるエピソードですね。

サントスの新作は要チェック

1993年、リシュモングループへと加わった後の現代においても、ガーランドスタイルおよびアールデコ様式のデザイン、そしてオーダーに対する姿勢、しっかりと引き継がれています。

時計においては、バロンブルーやカリブルなど、新しいモデルも追加されていますが、今注目したいのは、サントスですね!

2019年に省電力クォーツ式での展開が増えるなど、登場から100年以上が過ぎた現在でも、いまだに力を入れた改良が続いているのはなぜか。それは、他でもない友人からの依頼によって誕生したモデルだからなのではないでしょうか。

受けたオーダーに対し、最善をもって答え続ける。その結果、「王の宝石商であり、宝石商の王である。」と言われたジュエラー・カルティエ。

友人からの依頼による腕時計作りに対しても、王族からのジュエリーのオーダーと同じ姿勢で取り組んでいる、という証明こそが、サントス、、、いや、その姿勢をもともと持ち合わせていたからこそ、王族に愛されるまでに成長したんでしょうね!

これこそが、まさにカルティエの魅力だと思います!

まとめ

以上、本日はカルティエの歴史について、お送りいたしました。

前回は、ブルガリの歴史についてお送りしたわけですが、同じトップジュエラーでも、時計作りはここまで違うものなのかと。そう思いましたね。

カルティエは、あくまでカルティエスタイルのデザインの表現として、ジュエリーと同じ感覚で時計を作っていたのに対し、ブルガリは時計においてもガチだったわけです。こうして比べてみると、なかなか面白いですね。

とは言え、カルティエも2010年以降、自社製キャリバーを手にし、より本格的な時計作りが可能になっています。過去作ってきた名作に対し、今後どのように更なる回答を出してくるのか。非常に気になりますね!