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2019.10.07

シャネル CHANEL とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

セラミックウォッチのパイオニア、シャネル。ファッションブランドとして、あまりにも有名なブランド。時計業界においてもJ12というモデルで、一大ムーブメントを起こしています。

「私の人生は楽しくなかった。だから私は人生を作った。」創業者ココ・シャネルの言葉です。

彼女の人生と共に歩んだシャネルというブランドの歴史と、彼女亡き後、それ普遍スタイルへと紡ぎあげていった者たちのストーリー、見ていきたいと思います。

目次

本文中の画像は、シャネル公式サイトより引用:
http://inside.chanel.com/ja/chanel-goes-west

シャネルのブランドアイデンティティ

では、まずはシャネルというブランドについて、その特徴と、代表的な時計、見ていきましょう。

シャネルのブランドアイデンティティ。それは、いまもなおブランドのコードカラーとされている『ブラック』と『ホワイト』、そして既成概念や常識にとらわれない革命的な作品作りです。

創業者ココ・シャネルは、幼き日を修道院で過ごしており、そこでの禁欲的な生活から、黒と白に嗜好を覚えていたといいます。

また、彼女は幼いころから、自身の人生において『自由のために戦う』という強い意志を持っていました。

シャネルの作品は、まさにココ・シャネルの生き方そのものが、形として表れたものなのです。

代表モデルはJ12とプルミエール

そして時計ですが、シャネルのアイコンウォッチといえばこの二つ。画像左側が、最初の腕時計コレクション・プルミエール。そして右側が、2000年に一大ムーブメントを巻き起こしたコレクション・J12です。

ここでもブラックとホワイトが軸として使われています。そして自由な発想により、当時腕時計としては使われることがなかった、革ひもやセラミックを素材として使用し、業界を驚かせました。

こうして、腕時計コレクションにおいても、見事にブランドアイデンティティを表現することに成功しています。

しかしながら、腕時計コレクションが発表されたのは1987年のこと。ココ・シャネルが他界してから、16年後のことでした。

彼女亡き後、ブランドがどのように引き継がれ、そして腕時計業界でも成功するに至ったのか。その答えは、ココ・シャネルの壮絶な人生にあります。

幼くして修道院に預けられたガブリエル・シャネル

ココ・シャネル、本名ガブリエル・ボヌール・シャネルが生まれたのは、1883年のこと。母は若くして亡くなり、行商人である父に育てられました。そして12歳の時、オバジーヌ修道院へと一時的に預けられますが、父は行商に出かけたまま帰ってこず、孤児になってしまいます。

ガブリエルはその後約7年間、オバジーヌ修道院で過ごします。そこで見てきた宗教的な景色や衣服から、黒と白の美しさ、そしてゴールドやカラーストーンの華々しさにも、興味を持っていたそうです。

ココ・シャネルの誕生

大人になり、修道院を出たガブリエルは、修道院で学んだ裁縫技術を用いて、針子として働きながら、夜はキャバレーで歌を歌うという生活へ。不自由だった孤児時代に別れを告げるべく、自らの自由のために働くことを楽しんでいました。

彼女の歌声は、多くの兵士を魅了し、いつしか『COCO』という愛称で呼ばれるように。

ガブリエルという本名よりも有名な、ココ・シャネルという愛称は、この時代に生まれたものなのですね。これ以降、ココという呼び名で、進めてまいりますね。

ちなみに、ココという言葉の意味は、愛人を意味するcocotteであるとか、当時彼女が得意とした曲目から取ったとか、諸説あるそうです。

ココはやがて、騎兵将校エティエンヌ・バルサンと恋に落ち、キャバレーを辞め、彼の持つ牧場で何不自由ない生活を送ることになります。

しかし彼女は、退屈しのぎに帽子作りを続けていたと。自由のために働くことを選んだ彼女にとって、何不自由ない生活はとても退屈なものであり、逆に不自由なものだったのでしょう。

退屈しのぎだった帽子作りの腕はみるみる向上し、1910年、帽子店を開業するに至ります。

最愛の人との出会い、そして別れ

ココは、牧場主の将校エティエンヌと別れを告げ、イギリスの実業家アーサー・カペルとともに、次なる人生を歩むことを選びます。

ココにとってアーサーは、最愛の人であり、彼女がより強く美しい女性になるキッカケとなった人物でした。

その証明として、アーサーが生前ココによくプレゼントしていたという、カメリアの花。そのモチーフは、今もなおシャネルブランドのアイコンとして、継承されています。

1910年にオープンした帽子店が成功を収めた後、1915年にはフランス・ドーヴィルにブティックをオープン。

自分と同じように、自由のために働く女性に向け、ジャージ素材を使用したスポーツウェアのコレクションを発表し、これも大成功となりました。

さらに1918年にはクチュールメゾンをオープンしますが、翌1919年。残念ながらアーサー・カペルが、交通事故によってこの世を去ってしまいます。

突然訪れた最愛の人との別れ。ココは、深く悲しみながらも、仕事によってその悲しみを乗り越えると心に誓い、帽子店、ブティック、クチュールメゾンから、次なるフィールド、香水業界へと活躍の場を広げていきます。

シャネルN5の誕生|香水業界での成功

1921年。かの有名な香水シャネルN5が誕生します。シャネルをビッグブランドへと成長させた大ヒット商品です。

当時、ファッションデザイナーの香水業界進出は、非常に斬新な試みでした。ココは、『女性の香りがする、女性のための香り』と銘打ち、当時主流だった単一の香りの香水に対し、調香を以って挑むことに。

ロシアの宮廷調香師エルネスト・ボーとともに開発を進め、80種類以上のエッセンスが調合された『豊かなフローラルの香り』を持つ香水N5を完成させました。

そして、1924年。フランス最大手の香水・化粧品企業のオーナーであり、香水の量産と流通への知識に長けていた、ピエール・ヴェルタイマーとのタッグにより、N5の販売戦略が進められていきます。

ところで、N5のボトルのデザインは、シンプルでミニマルなものを採用しています。当時業界の主流は、派手派手しいデザインボトルを使った香水でした。シャネルは、その対極なものに仕上げたというわけです。

この時代のフランスは、カルティエが先陣を切ってアールデコスタイルへの変革を図っており、シンプルで直線的なデザインの作品作りを行っていました。タンクという名作ウォッチが誕生したのも、この少し前の時期になります。

N5のボトルは、そのデザイン潮流を早々に掴んでいたものなのではないでしょうか。このボトルデザインは、1959年にMOMAの恒久コレクションに選ばれたり、アンディー・ウォーホルの作品のモチーフにされたりと、現在も普遍的な美しさで人々を魅了し続けています。

第二次世界大戦により、シャネルは一時閉店へ

やがて時代は世界恐慌、第二次世界大戦へと繋がっていきます。開戦前、4,000人以上の社員を抱える一大ブランドに成長していたシャネルですが、大戦中は香水部門とアクセサリー部門のみ残して、閉店を余儀なくされることに。

ココ・シャネルはパリで、ピエール・ヴェルタイマーはアメリカで。N5の販売を行いながら、終戦を待つこととなります。

ツイードジャケット

ココが再びブティックをオープンしたのは、終戦からしばらく経った1954年のこと。ピエールとも再会を果たし、再びファッションブランドとしての活動をスタートします。

戦後のパリは、華麗に着飾った女性たちで賑わい、華やかで派手な印象でした。しかし、それを見たココは「耐えられない」と一蹴。

ココは、『女性を動きやすくすること。服に着られることなく、服によって立ち居振る舞いを変えさせないこと。人は常に動いているものだから。』

という言葉の通り、自由のために働く女性に向けた作品作りを再開。ワイヤーで締めたコルセットを取り払い、長すぎるスカートの裾を切り、華やかな装飾を外すという、相変わらずの自由な発想を形にしていきました。

こうして出来上がったのが、ツイードの女性用ジャケット。エレガンスであり機能的であると高く評価され、世界中のファッション雑誌の表紙を飾り、シャネルの新たなスタイルとして受け入れられていきました。

ココ・シャネルの最後

戦後、ブティックを再開したココ・シャネルですが、その時すでに71歳。新たなスタイルとして、女性向けのジャケットを作り上げたことも驚くべきバイタリティですが、その最後も非常に潔きものでした。

1971年。コレクションの準備からホテルへと戻り就寝したココは、そのまま永眠。87年の壮絶な人生に幕を閉じました。

ココ・シャネル亡き後、真っ当にブランドを継ぐものはなく、長く空白の時代が訪れます。その間、ブランドとして存続はしていたものの、かつての栄光は次第に薄れ、N5ですらも古臭い過去のものとして扱われるまでになってしまいます。

1983年、ブランド再興に向け動いたのは、ジャック・エリュ、そしてカール・ラガーフェルドという2人の男でした。

カール・ラガーフェルド|シャネル復活の立役者

ファッションに詳しい方であればご存知の方がほとんどかと思います。名前を知らない方でも、その姿を見れば「あー、この人か」となるほどの有名人カール・ラガーフェルド。

シャネルが彼をアサインした理由について、当時のCEOキティ・ダレーソはこう語っていたそうです。

『カールは、すでにクロエやフェンディで輝かしい功績を残していたことと共に、ココ・シャネルのデザインをすべてインプットしていた。さらにココ本人の人物史についても、誰よりも詳しかった。』

カールは、最新のモードスタイルとココ・シャネルの融合こそが、シャネルの復活に必要なものと考え、ココが創り上げたジャケットスタイルを現代のものへと変革。

新たに生み出されたオートクチュールのスーツは、モナコ王妃、ヨルダン王女、イヴァナ・トランプなどのセレブに愛用され、瞬く間にその名声を取り戻していきました。

シャネルにとって古いものとは何か。それまでのシャネルを知り尽くした男だったからこそできた、新生シャネルへの大変革でした。

ジャック・エリュ|腕時計コレクションの誕生

時を同じくして、シャネルはもう一つの新しい試みとして、腕時計コレクションの開発プロジェクトをスタート。

ここを担当したのは、シャネルを知り尽くしたもう一人の男。長くシャネルの広告ヴィジュアルを担当してきたアーティスティック・ディレクター、ジャック・エリュでした。

ジャックは、1987年に初のコレクションとなるプルミエールを発表。

腕時計といえばスイスの生粋マニュファクチュールか、ハイジュエラーかの2択。まして女性用となると、メンズモデルを小さくしただけというものが大半。

そこでジャックは、初めから女性用の時計をコレクションとして展開することを目的とし、時計を作製します。

ジャックが作り出した時計は、金メッキの鎖と黒革をストラップ素材に用いたファッショナブルものに。道具もしくはジュエリーであった腕時計が、ファッションアイテムになった瞬間でした。

プルミエール、、、少女時代のココ・シャネルが見た修道院の風景、そして宗教服をイメージさせるデザインでもあったように思えますね。

ジャックにはそこまでの思い入れがあったのではないでしょうか。ブランド愛を感じますね。

名作J12の誕生

さて、プルミエールで成功を収めたシャネルは、1993年。再びジャック・エリュの指揮のもと、次なる時計コレクションの開発に着手します。

このプロジェクト発足に対し、ジャックはこのような時計を作ると語ってたそうです。『時代を超え、不滅であり、輝くような黒か、眩しい白。』ここから誕生したモデル、皆さんもうお分かりですね。

大ヒットモデル、J12。2000年に登場したJ12は、これまで女性のための作品作りを行ってきたシャネルにとって、初となる本格的な男性向けのコレクション。

かつてココ・シャネルが、男性用のジャケットスタイルから着想を得て、女性用のファッションへと開放したのと同じように、今度は逆に男性用へと開放する。それを担ったのがこのモデルです。

ジャック・エリュは、ココ・シャネルの考える女性らしいデザインに、男性的な要素を融合。クラシックカー、鉄道、そして船舶と、男の趣味から着想を得て、J12のデザインを描きあげました。

|こう聞いてあらためて見てみると、男の趣味を感じる部分、見えてくるかと思います。文字盤内のレールウェイなどが分かりやすいポイントですね。

J12が担った『業界初』のチャレンジ

J12は、ブランドとしてのチャレンジはもちろん、時計業界のチャレンジも担っていました。『シャネルがとんでもない時計を作った。』発売された当時、時計業界は誰もが驚いたことでしょう。

皆さんご存知の通り、J12のケースとブレスには、セラミックが使用されています。それまでセラミックというと、工業製品の素材でしかなく、時計ではラドーなどで一部使われてはいたものの、あくまで変わり種としての位置づけでした。

J12は、ハイテクセラミックを用いて艶やかなブラックのケース&ブレスを作製。これは腕時計業界でも初の仕様となり、ラグジュアリーなものとして再解釈させ、後のセラミックウォッチブームの火付け役となりました。

J12はその後、2003にホワイトセラミックのバリエーションを追加。さらに2005年には複雑機構トゥールビヨンも完成。

2019年には、『何も変えずにすべてを変える』というテーマのもと、大幅なリニューアルを行いました。といっても、テーマの通り、ぱっと見た感じではどこが新しいのか、見分けるのは非常に難しい、、、

しかし、このテーマは、実に今のシャネルらしい。

カール・ラガーフェルドにしても、ジャック・エリュにしても、シャネルを知り尽くしているからこそ、ブランドを新しいものに変えることができた。ココ・シャネルのスタイルを変えずに、ココ・シャネルのすべてを変えて見せたわけですね。

まとめ

といったところで、本日はシャネルの歴史について、お送りいたしました。

自由を勝ち取るため、壮絶な人生を歩んだココ・シャネル。そして彼女が大切にした、ブラックとホワイトというコードカラー。そのロックな人生に共感し、後のブランド復興を成功させた2人の男たち。

シャネルの時計を眺めるときは、ココ・シャネルのような時代への反骨精神を持って、楽しみたいですね!