※この記事はウォッチ買取応援団としてYoutubeにアップした動画、「セイコー クレドールは如何にして世界基準の高級ウォッチブランドになり得たのか!?」の書き起こしです。
今回は、クレドールの歴史について、お伝えしていこうと思います。他の国産ブランドとは一線を画し、また世界でもその実力が認められている超高級ドレスウォッチブランドです。クレドールの時計は、過去2億円以上の価格が付けられたものもありましたし、現在も1,000万円超えの時計が、複数ラインナップされています。価格帯だけ見ても、スイスのトップブランドに引けを取らない存在感です。
しかし、元はというと、、、セイコーの一部なんですよね。実用時計メーカーから派生したブランドが、なぜ世界トップクラスの高級ブランドになれたのか。それについて、知っているよ!という方は、決して多くはないかと。そこで今回は、ブランドの誕生背景、そして進化のストーリーから、クレドールの魅力を発見していきたいと思います。
目次
- クレドールとは?
- セイコーの軌跡
- 1970年代「特選時計」シリーズの発表
- クレドールはなぜ誕生したのか?
- クレドールの名作に見る「感性」
- クレドールの「技術」と「技能」
- 仕上げへの拘りから見る「技術」
- オリジナルムーブメントの開発から見る「技能」
- まとめ
クレドールとは?
さて、まずはクレドールってどんなブランド?というところから触れていきます。クレドールの誕生は、1974年。当時セイコーが展開していた「特選時計」というシリーズが、ブランド化されて誕生しました。
ブランド名の意味は、フランス語で「黄金の輝き」。そこに込められた思いについて、ブランドサイトではこのように表現されています。
クレドールは、最高級の品質とともに、人びとを魅了する究極の美しさ、日本の美意識を凝縮させたデザインを目指しています。
また、クレストマークと呼ばれるロゴには、「感性」「技術」「技能」という3つの意味が込められているとのこと。日本人の美意識で、世界に通用する時計を作る!そんな意気込みが感じられますね。
セイコーの軌跡
ここから、クレドールの魅力を掘り下げるにあたり、まず復習しておかねばならないのは、セイコーの歴史です。詳しくは、セイコーの歴史としてまとめた動画がありますので、後ほどそちらもご覧いただければ幸いです。ここではクレドール誕生までの流れを、簡単におさらいしていきます。
セイコーの創業は、1881年。東京京橋でスタートしました。創業初期は、海外からの輸入・販売を行い、1892年より時計メーカーへ。1913年には、腕時計の製造をスタートします。その後、関東大震災、第二次世界大戦と悲劇が続いたものの、1950年代より時計の製造を再開。1964年には、スイス以外のブランドでは初となる、オリンピック公式タイマーを務めるまでに成長します。
そして、歴史上最もセイコーを有名にした出来事。1969年クォーツ式腕時計の発表。それまで高級品だった腕時計を、日用品へと変えた大革命は、クォーツショックと呼ばれ、世界の時計史において非常に重要な出来事となりました。その後、1970年の大阪万博では、世界初となる電波時計もお披露目し、日本ブランドの技術の高さを、再び世界にアピールしました。
1970年代「特選時計」シリーズの発表
こうして科学技術を駆使した時計作りにおいて、世界のトップに立ったセイコーですが、その傍らで「特選時計」というシリーズを発表していたのをご存知でしょうか。18Kゴールドなどの貴金属を使用した、ドレスウォッチシリーズ。これが、後のクレドールです。
クォーツ式時計の量産に成功し、電波時計をも生み出した技術屋集団が、なぜ煌びやかなドレスウォッチを作ろうと思ったのか。その理由について、セイコーミュージアムに尋ねてみましたが、公式の見解としてハッキリこう!というものはないとのことでした。
クレドールはなぜ誕生したのか?
ということで、その時代背景、つまりクォーツショックの後ですね、世界の時計ブランドがどのように考えていたのか探ってみたところ、非常に興味深い言葉を見つけました。
LVMHグループ時計部門のトップ、ジャン=クロード・ビバー。かつて、ブランパンやオメガなど、クォーツショック後のスイスブランドを復活させ、2000年代にはウブロ ビッグバンを大ヒットさせた人物。このチャンネルでも度々紹介している、現代時計界の偉人です。
ビバー氏のインタビューをまとめた書籍『間違える勇気。』の中で、彼はこのように語っています。
腕時計には、時間を示す以外にも役割がある。それはステータスシンボルや、感情、夢を表現する、いわば合理的ではない機能だ。そして今日、そうした機能は時を告げるよりもはるかに重要になった。時を知らせる機能は結局のところ平凡で、至るところにタダで存在するからだ。
また、このようにも。
毎年新発明が登場するため、科学技術はおのずと時代遅れになる。科学技術とは反対に、芸術は時代遅れになることは決してない。
この言葉から、セイコーが特選時計シリーズを誕生させた意味が理解できるような気がします。芸術としての時計を作り、時代遅れにならない価値を作り出す。こうして誕生したのが、特選時計であり、後に1つのブランドとなったクレドールなのではないでしょうか。
クレドールの名作に見る「感性」
かくして、1974年にブランド化を果たしたクレドール。時代や文化を超えたアート作品として、世界に通用する時計作りを開始します。クレドールのロゴに込められた3つの意味は、「感性」「技術」「技能」です。
「世界に通用する時計作り」という目的は同じでも、この3つでアプローチの仕方が異なっています。いまから、ご紹介する作品は、特に「感性」の部分、強く感じていただけるものかと思います。
1982年 ジュエリーウォッチシリーズ
貴金属製の本体に、ダイヤモンド宝飾を施したラグジュアリーウォッチ。最高額は、なんと2億2千万円!
1987年 エントラータシリーズ
中世の西洋文化に、日本人の繊細な感性を取り入れた作品。ロレックス、ブレゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどでも活躍する、時計デザイナー ヨルグ・イゼック氏によるデザインです。
1996年 メカニカルスケルトンモデル
竹をモチーフとしたデザイン性の高い機械式時計。ムーブメントへの彫金が美しいモデルです。
2005年 京繍モデル
煌びやかな糸を用いる京都の伝統工芸を取り入れた和装ウォッチ。
2014年 ミニアチュールモデル
ブランド40周年を記念して作られたアニバーサリーモデル。ヨーロッパの細密画技法を使用。
2015年 パート・ド・ヴェール
豊かな色彩と柔らかい質感が美しい、ガラス工芸を用いたアートウォッチ。
いかがでしょうか。様々な表現技法が用いられており、時代や文化を超えたアート作品として、楽しめるものばかりだったかと思います。
クレドールの「技術」と「技能」
ではあとの2つ、「技術」と「技能」についてはどうか。ここもなかなか面白い!
クレドールの進化は、1999年以降、大きく変化します。何かというと、1999年にスプリングドライブが登場したんですよね。スプリングドライブというのは、機械式とクォーツ式のハイブリッド。機械式のトルクと、クォーツ式の精度を併せ持つ、セイコー独自のムーブメントです。
それだけでも触れる材料が増えて、独自の魅力を追求できる状態でしたが、そこに追加してなんと優秀な人員まで確保。スプリングドライブの開発チームのうち数人が、クレドールのために新たなチームを結成したんです。彼らは「マイクロアーティスト工房」と名乗り、2000年以降、クレドールの進化に大きく貢献していくことになります。
仕上げへの拘りから見る「技術」
マイクロアーティスト工房が、クレドールに対して最初に行ったことは、金属素材の仕上げの強化でした。仕上げというのは、時計のケースなど、金属素材の角をカットしたり、丸くしたり。また表面を磨いたりすることで、素材の美しさを引き出す作業のことです。
純粋に時計としての美しさを追求するなら、スイスウォッチのような丁寧な仕上げが必要不可欠になると。そう考えたわけです。そこで、マイクロアーティスト工房のチーム員たちは、時計の本場スイスのジュウ渓谷へ。独立時計師フィリップ・デュフォーの工房を訪ね、仕上げの腕を磨きます。
フィリップ・デュフォーという人物。NHKのドキュメンタリー番組でも取り上げられたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
彼の仕上げの腕は、時計を見ていただければわかりやすいかと。見えない部分まで、非常に丁寧に、手作業による仕上げが施されています。マイクロアーティスト工房は、この「技術」こそクレドールに必要なものと考えたんですね!現在のクレドールの時計からも、この時スイスで得た技術が反映され続けています。
オリジナルムーブメントの開発から見る「技能」
仕上げの技術を手に入れたマイクロアーティスト工房。次に取り組んだのは、オリジナルムーブメントの開発でした。
当時セイコーの社内では、複雑機構に触れたことがある時計技師が減っており、「技能」の衰退を危惧しての挑戦という意味もあったようです。そのため、クレドールとして挑んだのは、複雑機構の中でも特に難しいとされる、ソヌリという機構。ボタンを操作すると、現時刻の時数分、鐘が鳴るという仕組みの時計を作ることでした。
設計者の一人である茂木正俊氏によると、当時はソヌリの仕組みすらわからなかったとのこと。セイコーミュージアムの図書館に通い詰めるなどして、アイデアをまとめていったそうです。
そうして誕生したのがこちらの時計。クレドール スプリングドライブ・ソヌリ。
2006年、スイスの時計見本市バーゼルワールドにて発表されたこの作品。これまで世界のどこにもなかった時計として注目を集め、この作品以降、マイクロアーティスト工房は世界的な時計師チームとして、広く知られるようになりました。
仕上げの師であるフィリップ・デュフォー氏は、スプリングドライブ・ソヌリの芸術性を高く評価し、当時のChronosのインタビューでこのように述べています。
世界で認められる作品なのに、なぜ日本でしか買えないんだ?
そしてこれ以降も、クレドールの複雑機構への挑戦は続き、2011年には、3大複雑機構の1つ「ミニッツリピーター」の開発にも成功しています。
まとめ
といったところで、クレドールの歴史について、見てきました。
自ら起こしたクォーツショックという一大ムーブメント。その後の時代、腕時計に求められることをいち早く察し、「感性」「技術」「技能」という3つの柱で、世界的なブランドとなったクレドール。
セイコー本体やグランドセイコーとは異なる形で、スイスウォッチと肩を並べることが出来る、偉大な存在なのではないでしょうか。