※この記事はウォッチ買取応援団としてYoutubeにアップした動画、「ジャガー・ルクルトの歴史|時計業界人・愛好家が選ぶ実力派ブランドのルーツとは」の書き起こしです。
本日は、ジャガー・ルクルトの歴史について、お伝えしていこうと思います。全パーツをすべてイチから自社製造する、数少ないマニュファクチュールの名門。古くからパテック・フィリップやオーデマ・ピゲなど、雲上級のブランドにムーブメントを提供し続けています。
最近でいうと、オーデマ・ピゲの超人気モデル、ロイヤルオーク15400に搭載されているムーブメントは、ジャガー・ルクルトが作ったものですね。ジャガー・ルクルトは、なぜそこまでの製造技術を持っているのでしょうか。ブランドの誕生背景、そして進化のストーリーから、その魅力を再発見していきたいと思います。
目次
- ジャガー・ルクルトとは?
- 創業者アントワーヌ・ルクルト時代
- 創業時からの強み
- 鍵なしポケットウォッチ
- 二代目エリー・ルクルト時代
- 三代目ジャック=ダヴィド・ルクルト時代
- ジャガーとルクルト
- ムーブメントメーカーから時計メーカーへ
- レベルソの誕生
- 実用腕時計ブランドとしての進化
- 1,000時間コントロール
- まとめ
ジャガー・ルクルトとは?
さて、まずはジャガー・ルクルトってどんなブランド?というところから触れていきます。
ジャガー・ルクルトの創業は、1833年のスイス・ジュラ渓谷・ル サンティエ。創業者アントワーヌ・ルクルトが、自宅の片隅に工房を構えたのが始まりです。創業から現在まで、1,200を超えるムーブメントを開発し、雲上ブランド向けのサプライヤーとしても活躍しています。
しかし、自社の時計ラインナップはというと、良くも悪くも真面目。パテックやオーデマのような華々しさはなく、どちらかというと大人しくて、渋くて、地味な時計が多い。そのため、格式高いマニュファクチュールという存在でありながらも、ライトな時計ファンの方たちには、あまり知られていない存在でもある。
実力と知名度に大きな差があるブランドなのではないでしょうか。
創業者アントワーヌ・ルクルト時代
ではここからは、時代を創業時まで遡り、そこからブランドがどのように進化してきたのか、見ていきたいと思います。創業者アントワーヌ・ルクルト。その祖先は、16世紀フランス・ユグノー戦争により宗教的な迫害を受け、スイスに亡命した一族です。
ジャガー・ルクルト創業の地であるジュウ渓谷・ル サンティエは、ルクルト家が作った教会を起点に、コミュニティが形成されてできた村でした。
ジュウ渓谷という場所は、17世紀頃から農業が出来ない冬の間の副業として、時計のパーツ作りが行われており、今現在も時計作りの聖地と呼ばれる場所です。
アントワーヌ・ルクルトもその環境で育ったことから、独学で時計の製造技術を習得。そして30歳を迎えた年、自宅の一部を改装し、小さな工房を立ち上げました。
創業時からの強み
アントワーヌ・ルクルトの時計作りにおいて、特筆すべき点があります。
それが、時計製造用の工作機械をも作れたということ。
1844年には、1,000分の1mmを正確に測定できる『ミリオノメーター』という機械を生み出し、ミクロン単位での精密なパーツ作りを可能にしました。
手作業が主流だった時代、機械による製造を早くから取り入れたことは、非常に有利だったのではないでしょうか。
精密なパーツを作れるということはもちろん、ライバルよりも多くの時計を作ることが出来る。
これはつまり、多くの仮説・検証を積み重ねることが出来たということではないかと。
後に雲上ブランドのサプライヤーとなる技術の原点は、工作機械から作り出していた創業期に既にあったのではないかと思います。
鍵なしポケットウォッチ
ミリオノメーターの発明以降、アントワーヌ・ルクルトは、数々の作品を世に送り出します。この時代でもっとも有名なのは、1847年に作られた世界初の工具一体型懐中時計。それまでは、鍵と呼ばれる小さなネジ巻き工具を使って、ゼンマイを巻きあげたり、時刻を調整したりしていましたが、アントワーヌはこの構造を一新。時計の上部にネジ巻き工具を一体化し、それによって操作する機構を開発しました。
今でいう、リューズ。その元祖ですね。この時計は、1851年にロンドンで行われた第一回万国博覧会・精密機器部門で見事金賞を獲得しています。
二代目エリー・ルクルト時代
続いて、1866年からは、アントワーヌの息子であるエリー・ルクルトの時代に入っていきます。二代目であるエリーには、父親とは異なる才覚がありました。それがリーダーシップです。なにをしたかというと、当時まだ分業が主流だった時計作りを、ひとまとめにしたんですね。
それまで、部品AはAさんの工房で、部品BはBさんの工房で、組み立てはジュネーブのC社に任せよう。スイスの時計作りは、こうした分業によって成り立っていました。一つの時計が出来るまで、100件以上の小さな工房が関わっているケースもありました。
エリー・ルクルトは、これを非効率と考え、一つの大きな工房に全員集めてしまえばいいじゃないかと考えたわけです。こうして誕生したのが、ジャガー・ルクルトの前身である、LeCoultre & Cie(ルクルト エ コンパニ)。スイスにおけるマニュファクチュールの基礎を作った会社です。
三代目ジャック=ダヴィド・ルクルト時代
ところで、ジャガー・ルクルトというブランド名ですが、ルクルトさんは創業者一族。では、ジャガーさんは誰なんだと。ブランド名がジャガー・ルクルトとなったのは、創業者アントワーヌの孫であるジャック=ダヴィド・ルクルトの時代になります。
ダヴィドは祖父同様、優れた技術を持っており、業界の中でも一目置かれる優れた時計師でした。
加えて、父エリーが作り上げたマニュファクチュールによって、質の良いムーブメントを多く製造できる体制も整っているという好機。
ある日その噂を聞きつけ、これまでにない薄型ムーブメントを制作してほしいという依頼が入ります。この依頼を持ってきた人物こそ、当時フランス海軍用の時計職人として活躍していたエドモンド・ジャガーという男。
後にブランド名になる男です。
ジャガーとルクルト
エドモンド・ジャガーの依頼を受けた三代目ジャック=ダヴィド・ルクルト。その期待に応え、1907年、当時世界最薄となる懐中時計用ムーブメントcal.145を開発します。
その薄さは、なんと1.38mm!!ダヴィド・ルクルトの祖父譲りの高い技術は、エドモンド・ジャガーによってフランスへと持ちこまれ、噂はカルティエの三代目当主ルイ・カルティエの耳にも届くことに。
1907年、エドモンド・ジャガーはカルティエと専属契約を結び、その製造のすべてをルクルト社に委ねます。こうして誕生したのが、世界初の民生実用腕時計にして、現在もカルティエの代表作として残る名作ウォッチ・サントスでした。
その後もエドモンド・ジャガーとルクルト社の協力関係は続き、1937年より、社名をJAEGER-LECOULTREに変更するに至ります。
ムーブメントメーカーから時計メーカーへ
ダヴィド・ルクルトの時代、1900年代初期は、カルティエの他、パテック・フィリップとの繋がりも深く、1930年代には、パテックのムーブメントの大半を製造する規模にまで成長していました。
そんな中、ルクルト社はムーブメントのみではなく、時計作りにもチャレンジしていきます。
1928年、気温変動を動力に変えて動く、画期的な半永久置時計アトモスを開発。1929年には、当時世界最小の手巻きムーブメントcal.101を開発し、腕時計作りに弾みをつけます。そして1931年。ブランドの代表作となるレベルソを製作します。
レベルソの誕生
レベルソという名前は、ラテン語で回転するという意味。その名の通り、時計本体を手動で回転できる仕組みを備えています。これは、インドに駐屯していたイギリス軍将校からの「ポロ競技用の腕時計を作って欲しい」という依頼により、作られた構造です。ポロ競技というのは、馬に跨り行う球技のこと。激しい動きにより、腕時計の風防ガラスが割れてしまうというトラブルがつきものでした。
依頼を受けたダヴィド・ルクルトは、競技中のみ文字盤を反転して、金属の裏蓋を表に出すことで、ボールやクラブが当たっても割れない構造にすることを思いついたんですね。現在ラインナップされているレベルソは、この構造を利用し、表と裏で別デザインの文字盤を備える形に進化しています。
実用腕時計ブランドとしての進化
レベルソによって、実用腕時計作りにおいても実績を作ったジャガー・ルクルト。その後もパテックやオーデマへのムーブメント供給を続けながらも、独自の腕時計開発も積極的に行っていきます。1958年には、耐磁時計ジオフィジック・クロノメーターを開発。精巧で丈夫、なおかつ耐磁機能を有しているとあって、南極大陸の研究者に使用されました。
1968年には、ダイバーズウォッチ・メモボックスを開発。作業に夢中になり、潜水時間を見落としてしまうことがないよう、音で時間を知らせるアラーム機能を搭載。ダイバーズウォッチとしては、もちろん世界初の試みでした。水中で使えるアラーム機能というのは、非常に斬新ですよね。
1,000時間コントロール
そして1992年。マスターというコレクションが登場。ここでは、1,000時間コントロールというものが新たに導入されました。これは、ブランド独自の腕時計実用テストです。1,000時間、約6週間もの間、精度・温度変化への耐性・気圧変化への耐性・耐衝撃性・耐磁性・防水性について、テストが行われるというもの。
時計のテストで有名なものとしては、スイス・クロノメーターがありますが、それに要する時間は15日間。約2週間です。ジャガー・ルクルトの1,000時間コントロールは、時間だけ見ても、その3倍。しかも根本的に異なるのは、実用性能であるということです。ムーブメント単体で評価するスイス・クロノメーターに対し、時計として組み立てた後に行うのが、ジャガー・ルクルトのテストなんです。
直接的な関係は無いにせよ、オメガのマスタークロノメーターと、ロレックスの高精度クロノメーター。この2つも、組み立て後のテストです。
どちらも実用腕時計のテストとして超有名なものですが、導入されたのは、2014年以降。極めて最近の話です。ジャガー・ルクルトの1,000時間コントロールは1992年からですから、いかに業界を先駆けていたものか、お分かりいただけるかと思います。
以降、1,000時間コントロールは、マスターシリーズのみならず、復刻したポラリス・メモボックスや、ジオフィジックにも採用されています。
まとめ
といったところで、ジャガー・ルクルトの歴史について、見てきました。今回調べていて感じたことは、他ブランドに比べて、圧倒的に資料が少ない。笑
一般ユーザー向けに時計を作ってはいるものの、やはりサプライヤーとしての活躍する機会の方が多いのでしょうね。
時計業界のための時計メーカー。プロに選ばれるプロ集団。
ジャガー・ルクルトというブランドは、これからもその立ち位置を崩すことなく、時計作りを続けていくことでしょう。通好みの一本をお探しの方は、ぜひ一度手に取って、その魅力感じてみてくださいね!