2020.05.25

オメガ OMEGA とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

オメガ歴史

※この記事はウォッチ買取応援団としてYoutubeにアップした動画、「オメガの歴史|ムーンウォッチやボンドウォッチを生み出した背景には どんな技術があったのか」の書き起こしです。

今回は、皆さんお待ちかね!オメガの歴史です。シーマスターやスピードマスターなど、人気シリーズを多数展開し、ロレックスと同等か、それに次ぐ知名度を誇る超人気ブランド。アポロ11号とともに月に行った歴史があったり、007のボンドウォッチを担当したり、オリンピックの公式タイマーを長年務めたりと、印象深いストーリーに紐づいた時計が、多くラインナップされていることが特徴です。

目次

創業者ルイ・ブラン

さて、オメガのストーリーですが、皆さんよくご存じのアポロ計画やら007の話が登場するのは、20世紀後半のお話です。

ではそれ以前は、どんなブランドだったのでしょうか。
まずは創業時から19世紀末までの動き、見ていきましょう。

創業者ルイ・ブラン

引用:https://www.omegawatches.jp/

オメガの創業は、1848年のスイス ラ・ショー・ド・フォン。
創業者ルイ・ブランが、実家の片隅に小さな工房を構えたことが起源となります。

時代背景としては、産業革命の後の時代。
天才時計師たちの手作業でしか生み出せなかった機械式時計は、工業的な分業によって製造可能になっていた時代です。

オメガ創業者ルイ・ブランも時計師ではなく、組立工として、そのキャリアをスタート。
精度への強い拘りを持って組み立てられた彼の時計は、ヨーロッパ中で評判になるほどのものだったといいます。

2代目ポール・ブランとセザール・ブラン

1870年代後半には、創業者ルイの2人の息子へと事業が継承され、ラ・ショー・ド・フォンからビエンヌへと拠点を移動します。

彼らの時代になると、スイスの時計業界はまた次のフェーズへと移っていました。
それまで小さな工房で分業で行われていた時計作りは、効率化のために1つ屋根の下に集められ、工場の様な形で製造されるようになります。

いわゆるマニュファクチュール、自社一貫生産ですね。
この時代を牽引したのが、先日歴史動画で取り上げたジャガー・ルクルトというブランドです。

オメガもその流れに乗り、組み立て工房からマニュファクチュールへと、スタイルを変えていきます。

ラブラドールとオメガ

そして、パーツ作りから組み立てまでを自社で行うようになったオメガは、業界を変える2つの量産型自社製ムーブメントを完成させます。

ラブラドールとオメガ

引用:https://www.omegawatches.jp/

1885年のラブラドール。
と、後にブランドの名称にもなる1894年のオメガ。

この2つのムーブメントは、当時非常に画期的なものでした。
なにが画期的だったのかというと、容易にパーツ交換が可能であったということ。
修理の際、パーツを交換するだけなので、ある程度訓練を積んだ組立工であれば直せてしまう。

時計師の技術を必要としないこのムーブメントによって、オメガはスイス最大のマニュファクチュールへと成長。
1930年には、ティソなどと共にSSIHグループを結成し、世界6大陸に販売網を持つ、一大ブランドへと成長していきます。

スポーツ計時の世界へ

そして迎えた次の時代。
20世紀前半のオメガは、2つのことにチャレンジしていきます。
1つはスポーツ計時。そしてもう1つは防水です。

まずスポーツ計時のほうから話していきますと、これは今もなお続いていることですが、オリンピックのオフィシャルタイマーですね。

1905年、スイス国内で16か所ものスポーツイベントで計時を担当。
その経験と知識を活かし、気球レース、スキー競技と、活躍の場を広げていきます。

オリンピックとオメガ

そして1932年のオリンピック・ロサンゼルス大会。
ここから長きに渡って、オリンピックの公式計時を担当することになります。

オリンピックとオメガ

引用:https://www.omegawatches.jp/

1948年のカメラ判定導入。1968年の競泳用ゴールタッチパッド導入。
1980年競泳タイム計測全自動化など。

創業時より強い拘りを持っていた精度、19世紀後半に作り上げた工業的な生産技術で、スポーツ計時の世界で覇権を握っていくこととなります。

ちなみに2020年の東京大会は、オメガにとって29回目のオリンピック。
今後も、夏季は2032年まで。冬季は2030年まで、オメガが担当することが決まっています。

途中セイコーに取って代わられる時もありましたが、歴史上もっとも長くオリンピックの公式計時を務めているのは、オメガです。

防水時計への挑戦

20世紀前半、オメガが取り組んだもう一つのチャレンジは、防水時計。
ダイバーズウォッチの市販化です。

オメガが拠点を構えるビエンヌ付近には、大きな湖が3つあり、実地での防水テストには事欠かない環境。
これを活かし、実用的で精度の高い防水ウォッチ作りにチャレンジしていきます。

防水時計への挑戦

引用:https://www.omegawatches.jp/

1932年に完成したマリーンという時計は、非常に丈夫であり、なおかつ高い精度を実現。
さらに修理が容易であるということを理由に、1940年よりイギリス軍の装備品として採用されることになります。

そして、ここからさらに改良が続けられ、皆さんご存知の人気シリーズ・シーマスターが誕生するわけです。

シーマスターの誕生

初代シーマスターの登場は1948年。
オメガブランド100周年を記念しての発表され、現代まで引き継がれる人気シリーズです。

シーマスターの強みは、先ほどマリーンのところでもお伝えした通り、丈夫さと精度。
それは防水という枠に留まらず。
1956年には、カナダ発アムステルダム行の航空機外壁に括りつけられ、北極上空を通る9時間の飛行テストにも耐えて見せました。

シーマスターの誕生

引用:https://www.omegawatches.jp/

そして、1957年。
300mの防水性能を有するシーマスター300、1,000ガウスの耐磁性能を有するレイルマスターという、2つの名作を発表します。

スピードマスターの誕生

さらに同じ年、オメガを代表するもう一つの時計が発売されます。
そう、スピードマスターですね。

スピードマスターの誕生

引用:https://www.omegawatches.jp/

元々はカーレース用として作られた背景がありますが、1965年にはNASA公認の装備品となり、アポロ計画に用いられるようになります。

NASAに選ばれた理由は、操作性や精度などはもちろんのこと、他を寄せ付けない丈夫さにありました。スポーツ計時と防水時計の開発で培った、丈夫で正確な実用時計作りのノウハウ。それが凝縮されて生まれたモデルだからこそ、この歴史的なストーリーに結びついていくわけですね。

今でもスピードマスターの裏蓋に、シーマスターのシンボルマーク『シーホース』が刻まれていることからも、強い繋がりを感じることができるかと思います。

クォーツウォッチの台頭による経営悪化

しかし、、、
どんなに輝かしい歴史を持つスイスの時計ブランドでも、その地位に絶対はない。
1969年、機械式時計が築き上げてきた長い栄光の歴史を覆すものが出現します。

クォーツウォッチの登場。
日本の時計ブランド・セイコーは、それまで小型化が困難とされてきたクォーツ式の時計を、腕時計サイズにまで小型化することに成功。
さらに、それまで高価だったクォーツパーツを、人工品に変えたことで、安価での量産化を可能にしました。

これにより、腕時計は一生ものの贅沢品から日用品となり、人々の生活により身近な存在になります。
しかし、一方で機械式時計の需要は急激に減少。
スイスの機械式時計産業は、壊滅状態に陥ってしまいます。

オメガも例に漏れず、史上最大のピンチを迎えることになります。
ムーブメントの製造を外注してコストを下げたり、自社のモデルにもクォーツムーブメントを採用したりと試行錯誤するも、経営は徐々に悪化していきます。

ニコラス・G・ハイエックという男

時を同じくして、スイスの機械メーカー組織エボーシュSA。
その中核をなすムーブメントメーカーETAは、窮地を乗り切るべく、ある男にコンサルティングの依頼をしていました。

ニコラス・G・ハイエックという男

引用:https://www.omegawatches.jp/

男の名は、ニコラス・G・ハイエック。
後にスイス時計業界のトップに立つ人物です。
当時はまだ時計業界にはおらず、300人のエンジニアを束ねる会社の経営者でした。

ETA社からの依頼を受けたハイエック氏が目を付けたのは、意外にも機械式ではなく、クォーツ式でした。

そして提案したのは、3つ。

クォーツムーブメントを、スイスメイドで作り直すこと。
品質管理を見直し、徹底して上質なものを作ること。
それに必要な設備投資を惜しまないこと。

これらに加え、機械式では非常識とされたプラスチック製のカジュアルなケースを使用。
こうして生み出された時計こそが、世界累計販売数3億本以上と言われる、超人気ブランド・スウォッチです。

スウォッチは、1985年にETA社から独立。
逆にETAを含むエボーシュSAごと吸収し、SMHグループを結成するに至ります。

スウォッチグループの誕生

話を戻して、オメガの方はというと、ロンジンなどと手を組み、新たなウォッチメイキンググループを企画中。
そこに突如現れたのが、先ほどお話した新ブランド・スウォッチ率いるSMHグループです。

スウォッチグループの誕生

引用:http://www.swatchgroup.jp/

オメガはそれ以前よりETA社との関りが深かったこともあり、またハイエック氏の効率的な時計作りというところにも共感を覚え、このSMHグループに参画することとなります。

こうして誕生したのが、スウォッチグループという一大組織なんですね。

ハイエック氏は、すぐさまスウォッチ式の時計作りをオメガにも転用。
さらに、直営店システムを設け、自社での販売体制を整えることに。

スイス時計業界において、この製版一本化の体制を初めて導入したのが、まさにこの時だったそうです。

ハイエック氏は、日本からやってきた波をチャンスと捉え、短期間で見事にスイス時計業界を一新していきました。

アンバサダー戦略

そして、20世紀末。
オメガが行った、もう一つの復活ストーリーがあります。
それが、アンバサダー戦略。

この戦略を指揮したのは、ハイエック氏と並び、オメガ復活の立役者とされるもう一人の策士。
時計界の魔術師こと、ジャン=クロード・ビバーという人物です。

007モデル

引用:https://www.omegawatches.jp/

007モデル ボンドウォッチ

オメガのアンバサダー戦略、有名なのは、皆さんご存知の映画007とのコラボレーションですね。
毎回映画の新作が発表される度に、劇中で使われる時計も盛り上がるという戦略。

オメガは、1995年の007ゴールデンアイから、主人公ジェームズ・ボンド用に、シーマスターのスペシャルモデルを企画しています。

2020年の最新作No Time to Die でも、シーマスターダイバー300Mのボンドモデルが発表されています。

実用機械式時計として世界最高スペックへ

スウォッチグループへの参画、そしてアンバサダー戦略という新しい手法を用いたことで、再び世界最大規模のブランドへと返り咲いたオメガ。

近年は、本来得意としていたマニュファクチュールへと軌道修正し、コーアクシャル機構、そしてマスタークロノメーター認証を導入。

15,000ガウスという驚異的な耐磁性能を有し、さらに10年間オーバーホールなしでも精度を維持するという利便性を実現しています。

実用機械式時計として世界最高スペック

引用:https://www.omegawatches.jp/

オメガが創業時より大事にしてきた精度への拘りと、軍事そして宇宙産業とともに培ってきた堅牢性。
これらに現代の最新技術を充てて作り上げた、実用時計としては、まさに世界最高峰といっても決して過言ではない、素晴らしい機械式ムーブメントを作り出すことに成功しています。

まとめ

といったところで、オメガの歴史について、見てきました。

最新のムーブメント、そして歴史の中で磨き上げた生産効率とマーケティング戦略。
これらを使って、今後オメガはどんなステージを狙うのか。

スピードマスターのストーリーがあるので、やっぱり宇宙なんでしょうかね。
それとも、ロレックスのような高級路線を狙うのか。

ジュネーブサロンやバーゼルなど、大規模な展示会から離脱したスウォッチグループ全体の動向も、非常に気になるところですね!

オメガの今後

引用:https://www.omegawatches.jp/