イタリア軍、エジプト軍、イスラエル軍などで正式採用されていた経緯を持つ、イタリア発祥の時計ブランド、オフィチーネ・パネライ。もともとは精密機器メーカーとしてスタートし、第一次世界大戦後の戦間期にイタリア海軍からの依頼で腕時計作りを始めました。
長く軍用としてのみの供給であり、民間ユーザーへの供給は禁止されていたため、一般販売されたのはつい最近のこと。1993年からとなります。
なぜ、パネライの時計はすべて同じようなデザインなのか。パネライのモデル誕生背景とともに、時計開発の歴史、そしてその魅力について、見ていきたいと思います。
目次
- パネライとは?
- パネライの誕生
- ラジオミールの誕生
- ロレックスとパネライの意外な関係性
- ラジオミール1940|イタリア海軍特殊部隊で使用
- ルミノール1950|実際に戦場では使われることがなかった名作
- エジプト軍、イスラエル軍にも提供
- 戦後の新しい時代でも引き継がれる普遍のデザイン
- イタリア軍との機密解除により民間向けに販売がスタート!
- リシュモングループに参画|本格的に世界デビュー
- デカ厚ウォッチブームの火付け役に
- まとめ
本文中の画像は、パネライ公式サイトより引用:
https://www.panerai.com/ja
パネライとは|ラジオミールとルミノール
では、まずはパネライというブランドについて、現在の動向とその特徴を見ていきましょう。
パネライの創業は1860年。ジョヴァンニ・パネライによってイタリア・フィレンツェに精密機器メーカーとして設立されました。腕時計ブランドとしても有名ですが、温度計、湿度計、気圧計、クロノメーターなど、現在も多くの精密機器を生産しています。
また、潜水用具のメーカーとしても有名であり、深度計や潜水用トーチライトなども手掛けています。1997年にリシュモングループ傘下(当時はヴァンドームグループ)に加わっており、時計部門では、2005年に自社製ムーブメントを開発したことで、マニュファクチュール化に成功しています。
さて、そのパネライというブランドですが、代表モデルは2つ。ラジオミールとルミノールがあります。この2つのモデルは、第一次世界大戦後の軍事協力時代から続くモデルですが、、、先ほどもお伝えした通り、ご覧のようにぱっと見は同じモデルに見えます。
軍事用だった時代、そして民間向けに発売されるようになった現代。2つの時代を経験していながらも、主要コレクションは、ラジオミールとルミノールの2つです。
コレクション内では多数のモデルが展開されていますが、、、どれも見た目はそっくり。
なぜ、違うモデルなのにここまで似通っているかというと、その理由は、パネライの腕時計が誕生した背景にあります。
パネライの誕生
ブランドの創業は1860年。ロレックスの誕生が1905年ですから、創業自体は現存の腕時計ブランドでは早い方です。しかしながら、パネライが腕時計を作り始めたのは、4代目のジュゼッペ・パネライの時代、1930年代に入ってから。始まりはイタリア海軍からの依頼によるものでした。
当時イタリア軍は、第一次世界大戦で中央同盟として勝利を収めた後の戦間期。次なる海での戦いに向け、潜水隊特殊部隊工作員のための丈夫で見やすい腕時計を求めていました。
そこで、もともと多くの計器類を納品していた精密機器メーカーでもあり、イタリア初の時計学校でもあったパネライに、腕時計の製作についても依頼がなされたという流れになります。
ラジオミールの誕生
パネライは、1916年にラジウムという元素を使用した夜光塗料の特許を取得しており、イタリア海軍向けの計器類に使用。その技術は高く評価されていたのでしょう。腕時計製作の依頼を受けたパネライは、1936年に試作品となる10点の腕時計を軍に提出。
1938年より本格的に製造が開始されることとなります。この時計こそが、夜光塗料の名称から名付けられた『ラジオミール』でした。
ラジオミールは、夜間や潜水艇内など、暗い場所での使用を目的としていたため、文字盤に夜光塗料を塗布するという方法ではなく、夜光塗料がたっぷり塗られた文字盤の上に、インデックスの数字がくり抜かれたもう一枚の文字盤を重ねるという製法で作られました。
いわゆるサンドウィッチ文字盤。インデックスの6と9の字体見ていただければわかる通り、くっついていないですよね。くっつけてしまうとくり抜いた際に丸部分が抜け落ちてしまうため、このような形になっています。
ロレックスとパネライの意外な関係性
ラジオミール登場のくだりには、もう一つ興味深い逸話があります。それが、ロレックスとのつながりです。
イタリア海軍より依頼を受けたパネライ。防水性の高い腕時計開発への挑戦ということで、目を付けたのは、1926年にロレックスによって発明された『オイスターケース』でした。
当時パネライ一家が経営していたスイス時計店は、ロレックスの販売代理店にもなっていました。その縁より、ロレックスにオイスターケースのノウハウと、ムーブメントの提供を仰ぐことに。
こうして完成した初期のラジオミールは、ケースこそオリジナルでしたが、ムーブメントはロレックスのものをそのまま使用していたことでも知られます。
その後、1939年には第二次世界大戦が勃発。イタリア海軍からの腕時計への要求は、さらに強いものとなっていきます。長時間の過酷な水中作業という、高い水圧がかかる条件下においても、使用が可能であることが求められるようになります。
ラジオミールは、このニーズに応えるべく、パーツを一体化するなどの改良が重ねられ、1940年には現在にも残る名作ウォッチ・ラジオミール1940が登場しました。
ラジオミール1940|イタリア海軍特殊部隊で使用
この時計は、1941年のアレクサンドリア港攻撃敢行の際、特殊工作部隊である低速魚雷チームの隊員たちの腕に装備されることとなりました。
低速魚雷というのは、2人乗りの小型潜水艇。潜水艇といっても、水中スクーターですね。人二人が跨って海中を移動。敵船に接近して、爆弾を仕掛けるというものです。
夜間の海中での長時間移動という過酷な条件下でも、高い視認性を実現したラジオミール1940。作戦に参加した海兵エミリオ・ビアンキは、「この時計がなかったら、作戦そのものが遂行不可能だったであろう」と賞賛しています。
ルミノール1950|実際に戦場では使われることがなかった名作
さて、戦間期から第二次世界大戦中に使用されたラジオミールに対し、もう一つの代表モデルであるルミノール。これはいつ誕生したものかというと、終戦後の1950年です。
ルミノールという名称もパネライが特許を取得した夜光塗料の名称から由来します。この夜光塗料は、ラジウムに代わって1949年に作られたものですが、ロレックスなどでも使われたトリチウムという放射性物質を原料にした化合物です。
パネライは1950年、このルミノールを使用した軍用ウォッチを開発。第二次世界大戦の経験をもとに、終戦後も技術研究を進め、リューズガード、アタッチメント一体型ケース、フラットベゼルなどの新技術も合わせて採用したルミノール1950が誕生しました。
エジプト軍、イスラエル軍にも提供
その後、1956年にはエジプト軍用の特殊な腕時計、ケースサイズが60mmもあったエジツィアーノというモデルですが、こちらの供給も行います。
さらに1960年代には、イスラエル軍向けの特殊モデル・ドッピオポンテを開発。どちらの時計にも、ルミノールに使用していたリューズガードと、ラジオミール時代からある2重構造の文字盤が反映されており、『過酷な条件下でも使える読みやすい腕時計』というDNAを引き継いだモデルになっています。
また、この時代を最後に、パネライの軍事専用という時計作りは終焉に向かうことに。
戦後の新しい時代でも引き継がれる普遍のデザイン
1972年には、パネライ一族から、時計技師のディノ・ゼイへと経営権が譲渡され、新しい時代を迎えることとなりますが、ラジオミール、そしてルミノールに使われた特徴的なデザインは、現在も姿を変えることなく、受け継がれています。
この特徴的なデザインについて、後にメタルブレスのデザインを手がけたデザイナー、ジャンピエロ・ボディーノは、『デザイナーとして立ち入ってはいけない神聖な部分と、デザイナーとして頑張るべき部分がハッキリしている。神聖な部分に遊びをいれたら、パネライはすぐにおもちゃになってしまう。』という言葉を残しています。
イタリア軍との機密解除により民間向けに販売がスタート!
さて、軍事供給時代が終わりを迎え、パネライが民間向けに供給されることになったのは、1993年から。1930年代より長く続いたイタリア軍との契約は、供給先の制限も含まれていました。制限といっても実質的には禁止になりますが、要するにイタリア軍がOKしないところには供給できないというものでした。
まあ当たり前と言えば当たり前ですよね。技術も含め外に情報が漏れてしまうことは、絶対にNGですからね。腕時計といえども、ラジオミールやルミノールの情報は、軍事機密の対象になっていたというわけです。
その制限が解除されたのが、終戦後50年近くが経過した1993年でした。軍需の減少により、業績不振に陥っていたパネライは、そのタイミングですぐさま民間への販売をスタートさせました。
民間向けに発売されたモデルは3つ。ルミノール、ルミノール・マリーナ、マーレ・ノストゥルム。
いずれも第二次世界大戦中に特殊部隊用として用いられた時計のデザインをベースにしていたため、時計コレクターやミリタリーアイテム収集家の間では話題となりましたが、逆にいえば約60年もの間、軍事機密のもので作られていたため、だれも知らない時計でもあったわけです。
リシュモングループに参画|本格的に世界デビュー
一般ユーザーがその存在を知ることとなるのは、1997年以降のこと。パネライは、ヴァンドームグループ、現在のリシュモングループの傘下に属することとなり、1998年には国際的な見本市ジュネーブサロンに出展。ようやく一般ユーザー層への販路拡大が行われました。
ちなみに、1993年から1997年まで、グループ傘下に入る前の民間発売初期のパネライウォッチは『プレヴァンドーム』と呼ばれ、中古市場で高額で取引されています。
認知度が低く売れなかった時代の時計が、今となっては高額モデルというのは、少々皮肉な話ですね。ただ、この時期はまだ量産体制が整っておらず、特にケースの製造が難しいことからも、少数の時計が売られているのみでした。
ヴァンドームグループへの加入により、販路拡大とともに、十分な数の製造という課題もクリアすることとなりました。
デカ厚ウォッチブームの火付け役に
そして、1990年代末から2000年代に起こったデカ厚ウォッチブーム。大型で分厚い時計がトレンドになったこの時代、火付け役となったのがパネライの時計だったということは、ご存知の方も多いはず。
2002年には映画トランポーターの劇中で、ジェイソン・ステイサムが着用したことでも話題になりました。
また、2005年には、デカ厚ブームに乗る形でウブロ・ビッグバンが登場していますよね。LVMHグループの時計部門トップ、ジャンクロード・ビバーの指揮のもと誕生したウブロの伝説的なモデルの登場背景には、パネライウォッチが作り出した一時代のブームがあったというわけです。
以降、パネライはというと、2005年に自社製のムーブメントの開発に成功。一貫生産が可能な高級ブランドの仲間入りを果たしました。
現在は、ルミノールの発展型として、逆回転防止ベゼルを装備したダイバーズウォッチ・サブマーシブル。そして薄型の自動巻きムーブメントを搭載したエレガンスライン、ルミノール・ドゥエがレギュラーラインナップに加わり、現行モデルとしては130を超える時計が販売されています。
まとめ
以上、パネライの歴史背景について、見てきました。軍事供給品だった時代は、機密だったこともあり、あまり公に出ている情報が少なかったのですが、そこにはもっと凄まじいドラマが隠されているのかも知れません。
でも、それはそれでまた魅力。軍事機密下で開発された経緯を持ち、その時の姿のまま、現在も発売されていると思うと、ファンが多いことにも頷けますね。というわけで、本日はオフィチーネ・パネライの歴史についてお送りしました。