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2019.10.04

ブライトリング BREITLING とは|ブランド誕生と時計コレクションの歴史

時計ブランド、有名モデルの歴史や誕生背景を探っていくと、新たな魅力を発見することが出来ます。今回ピックアップしたのは、航空ウォッチのパイオニア、ブライトリング。

世界で初めて腕時計タイプのクロノグラフを発表し、そこから航空機の発展とともに時代を築いてきた有名ブランドです。

「パイロットのための計器と言えばブライトリング」とまで言われるようになった背景には、親子3代に渡る大空へと思いと、それを裏付ける技術、そしてその情熱を引き継ぐ者たちの思いがありました。

ブランドの誕生から、ブランドの顔ともいえるクロノマット、ナビタイマー両モデルの誕生。そして、クォーツショックからの再起まで。ブライトリングの歴史、見ていきたいと思います。

目次

本文中の画像は、ブライトリング公式サイトより引用:
https://www.breitling.co.jp/

ブライトリングとは|ブランドの特徴と代表モデル

では、まずはブライトリングというブランドについて、その特徴と、代表的な時計、見ていきましょう。

ブライトリングのブランドアイデンティティ。それは、冒頭でも触れた通り、航空機パイロット用の計器であることです。

ブライトリングの時計は、時計ではなく、計器なんですね。それは現行モデルのラインナップからも、感じていただけるかと思います。

代表的なモデルは、クロノマット。それからナビタイマー。

どちらも20世紀中盤に誕生したモデルであり、その用途ははっきりと『航空パイロット用』というものでした。

デザインこそ現代風にアレンジされているものの、現行モデルにおいてもその用途・目的はブレておらず、プロフェッショナルが即使用できる計器としての時計作りを続けています。

パイロットクロノグラフの名門

ブライトリングのユニークな点は、ブランドを総括するコアコンセプトとして、パイロット用の時計作りを行っているところにあります。

普通は、ブランドではなくモデル単位でコンセプト作りをして開発を進めていくのに対し、これは強いこだわりを感じる部分です。

このブランドコンセプトの背景には、創業者レオン・ブライトリングの空への憧れがありました。

大空への憧れを抱いた創業者レオン・ブライトリング

創業者であるレオン・ブライトリングが、誕生したのは1860年、スイス・ジュラ地方のサン・ティミエという小さな村。雪深い山岳地帯であり、夏は農業、冬は精密機械のパーツ作りという、スイスウォッチの発祥としてはよく耳にする環境で育ちました。

やがてレオンは、冬の内職としてではなく、本業として時計作りに携わりたいと思うようになります。特に興味が強かったのが、当時軍用として使用されていたクロノグラフ。機械式のストップウォッチ機能です。

時計の専門知識に磨きをかけたレオンは、1884年。自身の時計工房を開業。これがブライトリングの誕生となりました。

レオンは、クロノグラフをより上質なものにしたいと考え、クロノグラフ専門で製作を開始。1889年には特許を取得します。そして博覧会に出展し、数々の賞を獲得することで、その知名度を上げていきました。

と、ここまでも良くあるお話ですよね。これまで、スイスのいろいろなブランドの歴史動画制作してきましたが、本当に良くあるお話です。

しかしながら、ブライトリングが他のブランドと大きく異なっているのは、レオン・ブライトリングが、時計への興味と同じくらい、大空への夢もある青年だったということです。

ライト兄弟が初めて動力飛行に成功したのは、1903年のこと。それ以前、世界中には鳥人間コンテストみたいなことをしている人がたくさんいて、皆偉業を夢見て大空に挑んでいました。

カルティエと深い縁を持つ鳥人間、アルベルト・サントス・デュモンが、自作の気球や飛行船でパリ上空を飛んでいたのも、まさにこの時代でした。

航空産業を時計や計器によって支えたい

この航空黎明期において、レオンは大空への憧れを抱きつつも、自身では飛行士を目指さず、航空機用の計器作りに専念することを選択します。

大空への夢を心に留め、いずれ訪れるであろう、飛行機という乗り物の発展を信じていたのでしょうね。

創業者レオン・ブライトリングは、このような言葉を残しています。

『飛行機は今後さらに発展すべき産業だと思う。だから私は時計や計器のメーカーとして、それを支えていくつもりだ。』

その思いは、後継となる息子ガストン・ブライトリングにも引き継がれます。そしてブライトリングは、ここから航空時計の名門として、未曾有の発展を遂げていくこととなります。

腕時計黎明期を生きた2代目ガストン・ブライトリング

1914年、2代目経営者となったガストンは、創業者であり父であるレオンに、勝るとも劣らない時計師として成長していました。

当時は、本格的な腕時計が登場してまだ数年。時計市場において、腕時計と懐中時計がほぼ半々のシェアとなったのは、1930年頃と言われていますので、まさに腕時計黎明期でした。

ガストンは翌年の1915年。クロノグラフの操作専用プッシュボタンを備えた、世界初の腕時計型クロノグラフ『30分タイマー』を発表。カルティエが世界初の民間用腕時計サントスを発売してから、わずか4年後の快挙でした。

父レオンの読み通り、飛行機が急激な進歩を遂げていた当時、飛行士にとって飛行時間の計測は、非常に重要なものでした。そもそも実用腕時計が生まれた経緯は、先ほど登場したアルベルト・サントス・デュモンが、ルイ・カルティエにオーダーした、操縦桿を握ったまま時間が見たいというものから。

パイロットにとって、腕に装着できる時計であり、クロノグラフが搭載されているものとなると、一体どれほど便利なものだったか。

2代目当主ガストン・ブライトリング。さらに1923年には、クロノグラフのスタート、ストップ、リセットの操作系統を分離し、その操作性を格段に向上させた、2ボタン式のモデルの開発にも成功してます。

この技術革新は、スイス時計界に多大な影響を与え、『クロノグラフといえばブライトリング』という名声は不動のものに。

航空黎明期に生きた父、そして腕時計黎明期を生きた息子。その方向性が、航空パイロット用腕時計に向くというのは、運命だったのかも知れませんね。

航空業界と強い繋がりを作った3代目ウィリー・ブライトリング

1932年には、創業者レオンの孫である、ウィリーへとブランドが受け継がれていきます。

『ブライトリングの時計は、プロフェッショナルのための計器である。』

3代目当主ウィリー・ブライトリングは、祖父が残した『時計メーカーとして航空業界の発展に貢献する』という意志のもと、それをブライトリングの製品哲学へと昇華させていった人物です。

ウィリーがブライトリングの経営を引き継いだ時代は、世界恐慌から第二次大戦へと、世界が激しく動乱する時代でした。

5大ブランドのランゲ&ゾーネが、戦争による爆撃でブランドが途絶えてしまうなど、高級時計業界にとっても、この時代は最悪の環境だったと言います。

しかし、ウィリーは持ち前の行動力で、次々にチャレンジを行っていきました。

1936年、ウィリーは英国空軍と交渉を重ね、オフィシャル・サプライヤーとして航空用コックピット・クロックやクロノグラフの製作を開始します。

夜光塗料を使用した文字盤とベゼルを持つブライトリングの計器は、非常に高く評価され、各国の空軍で採用されることに。さらには、ダグラス社やロッキード社などの航空機メーカーとも関係を持ち、航空業界との繋がりをより強めていきました。

クロノマットそしてナビタイマー|名作ウォッチの誕生

そして第二次世界大戦中の1942年。歴史的名作クロノマットが誕生します。

ベゼルに回転計算尺を搭載したこのモデル。小型の電卓がまだなかった時代に、ベゼルを回すことで四則演算が出来てしまうという画期的な構造で、パイロットクロノグラフウォッチという新たなカテゴリーを作り出しました。

さらに1952年。汎用的な回転計算尺から、フライト・コンピューターとも呼ばれる航空用計算盤を装備したナビタイマーを発表。

速度、燃料消費量、飛行距離、上昇・下降距離、距離単位換算などを導き出せるナビタイマーは、国際パイロット協会の公式ウォッチにも認定。

究極のパイロットクロノグラフとして、世界中のパイロットから絶賛されるとともに、創業者レオンから親子3代に渡り継承されてきた夢の実現となりました。

この2つのフラッグシップモデルの登場により、当時ブライトリングの名を知らないパイロットはいなかったと言われるまでに。

1962年には、アメリカ・マーキュリー計画において、宇宙飛行士スコット・カーペンターが、オーロラ7号による任務で使用するなど、世界的に有名なブランドへと成長していました。

また、ナビタイマーは、パイロット以外の一般ユーザーからも高く評価され、70年代初頭まで続くブライトリングの黄金期を、華々しくスタートさせました。

ライバル会社ホイヤーと共同で自動巻きクロノグラフを開発

3代目ウィリーの挑戦は、まだまだ続きます。1960年代。自動巻き腕時計の普及により、クロノグラフにおいても、自動巻きへのニーズが見られるようになりました。

ブライトリングは、自動巻きクロノグラフの開発に着手。と思いきや、横を見ればゼニスやホイヤー、そしてセイコーとライバルも同じように、自動巻きクロノグラフの開発をスタートさせようとしていました。

そこでウィリーは、ライバルだったホイヤー社と手を結び、水面下での共同開発を行うことに。結果、1969年、自動巻きクロノグラフ・キャリバー11を完成させるに至ります。

1969年は、皆さんご存知の自動巻きクロノグラフ元年ですね。今からちょうど50年前です。ゼニスからはエルプリメロが。セイコーからもキャリバー6139が登場した年ですね。

まさにクロノグラフが盛り上がっていた時代ですが、、、皮肉にもその年は、クォーツ式腕時計が登場した年でもありました。

クォーツショックによる打撃

1970年代に入り、嵐のごとく襲ってきたクォーツウォッチの波は、スイスの時計業界をほぼ壊滅状態に追いやりました。ブライトリングも大打撃を受け、高齢であったウィリー・ブライトリングは、心身ともにボロボロに。病床に伏せてしまいます。

この時ウィリーは、最後の情熱を振り絞り、ひとつの決断を下します。それは、この難局を乗り越えられる、そしてブランドを未来にまで繋げられる人物に、ブライトリングを託そうというものでした。

セイコーが仕掛けたクォーツショックによって、ここでもまた一つのブランドが一時代を終えることになってしまったわけです。

クロノグラフの名門をいかにして復活させるか|後継者アーネスト・シュナイダー

後継者として選ばれたのは、アーネスト・シュナイダーという人物でした。技術を強みとした創業家が、ブランドの発展のために外部の血を取り入れた、ということですね。これは、、、忸怩たる思いのある重大な決断だったと思います。

それを受け止めるアーネストは、『クロノグラフの名門をいかにして復活させるか』というテーマのもと、1982年に正式にブライトリング社を引き継ぎます。ブライトリングのひとつの時代が終焉し、そして新たな時代が幕を開けた瞬間でした。

伝統は必ず守る、とブライトリング家最後の経営者となったウィリーと固い約束を交わしていたアーネスト。しかし、時代の流れには逆らえない。

アーネストは、電子工学のエンジニアだったこともあり、クォーツウォッチに活路を求めることも可能でした。しかしながら、エンジニアだからこその不安があったとも言います。

クォーツ式の腕時計が量産化され、安価に手に入りやすくなる反面、人々が時計を大切にする意識は薄らいでいくのではないか。アーネストは、不安と共に、強い憤りをも感じていたそうです。

結果、彼が選択した道は、機械式の高級時計で、新生ブライトリングを象徴するパイロット・クロノグラフを開発するということでした。

アーネストはまず、数少なくなったクロノグラフ職人を探すことからスタート。スイス中を奔走し、やっとの思いで腕効きの職人を見つけていきます。

しかしながら、彼らの多くは、機械式の未来に失望していました。

「たかだか10年のクォーツウォッチに機械式時計が駆逐されるはずがない。機械式時計は人類の英知が築いた文化なんだ。人類が存続するかぎり不滅であり、それを可能にするのが、我々の使命じゃないか!」

こう熱く語りかけるアーネストに、職人たちは次第に希望を抱くようになっていったといいます。

クロノマットがフレッチェ・トリコローリの公式ウォッチへ

こうして再スタートを切った新生ブライトリング。初めに取り組んだのは、イタリア空軍アクロバット飛行チーム『フレッチェ・トリコローリ』の公式クロノグラフに名乗りを上げることでした。

時計ではなく計器であると称えられた軍用サプライヤー時代。その魂を受け継ぎながら、現代の技術を以って航空業界での新たな名声を作りにいこうじゃないか。

アーネストと職人たちは、それまでのクロノマットやナビタイマーなどの代表作に頼ることなく、白紙からの設計を決意。何度もイタリアに飛び、パイロットたちから要望を聞き出し、それをひとつひとつ機能に反映させていきました。

こうして完成させたのが、1983年にフレッチェ・トリコローリの公式時計に採用されることとなった、自動巻きクロノグラフ・新型クロノマットです。

新型クロノマットは翌年、世界市場に向けて発表。機械式を待ち望んでいた時計愛好家に絶賛され、機械式時計復活の火付け役となりました。

こうして、クロノグラフの名門ブライトリングは見事に復活を遂げ、航空クロノグラフのパイオニアとして、再び大空へと羽ばたいたというわけです。

100%クロノメーター化|ブライトリングは再び大空へ

かくして新生ブライトリング、1994年にはアーネストの息子であるセオドア・シュナイダーへと引き継がれます。

そして、1999年には全モデルのクロノメーター化を宣言し、また大きな話題を呼んだことは記憶に新しいかと思います。

クロノメーターというのは、スイスの精度認証試験のことですが、かなり厳しい試験であるため、それを100%導入するとなると、これまた技術者にとっても経営者にとっても大変なことです。

宣言通り、実現されたのは2年後の2001年でした。

さらに2009年には、完全自社製のムーブメント・キャリバー01の開発にも成功。01搭載の魅力的なモデル、次々に世に送り出しています。

直近では01搭載のナビタイマーが、初代のデザインで復刻されていたり、クロノマットの日本限定モデルが出たりと、黄金期のウィリー時代、そしてブランド復活のアーネスト時代へのオマージュモデルが、注目されていますね。

ブライトリング、ここからどう発展していくのか。その答えは、やはり航空業界の発展にあるものと思います。

となると、、、1,000分の1秒クロノグラフとか、アクロバット飛行にも耐えうるトゥールビヨンとか。あとは、飛行中でも聞こえる特殊な周波数のリピーターウォッチとか?

まとめ

といったところで、本日はブライトリングの歴史について、お送りいたしました。

クロノグラフ、面白いですね!ロマンがある!まさに冒険とチャレンジ!大空への情熱!

タグホイヤーにしても、ゼニスにしても、あとはロレックスのデイトナ、オメガのスピードマスターとかも、やっぱり歴史が凄く面白い!

人間誰しも、本能的にスピードとか、空への憧れっていうのがあるのかも知れませんね。